文科省、国立大に弔意表明求める 故中曽根康弘氏の合同葬
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文科省の通知は、さすがにお願い的な文面になっているようです。官僚の戸惑い、後ろめたさが出ているようにも読めます。
国家元首ならわかりますが、議院内閣制の特定政党出身の首相への弔意を、国立大学に求めるのは、強い違和感があります。
毎日新聞の記事からの引用ですが、大阪大の男性教授は「思想統制のようで単純に気味が悪い。国葬でもないのに『国立』と名の付く組織に勤務しているだけで従う義理はない。何か勘違いされているのではないか」と話しています。通知を受けた大阪府教委は内部で対応を協議し、特定政党への支持や政治的な活動を禁じている教育基本法14条に抵触する恐れがあると判断し、高校などの府立校には送付しないことを決めたといいます。これらの反応が自然だと思います。日本学術会議の任命問題同様、学問の自由、独立に”政治”が入ってきた印象です。
国立大学は法人化され、文科省の内部組織から独立した組織になりました。文科省のQ&Aによると「いろいろなことが自分で決められるようになりますが、引き続き、国民の税金に支えられていくことは忘れてはいけません」とありました。
通知は、加藤官房長官名の文書を示して「この趣旨に沿ってよろしくお取り計らいください」としていて、忖度感ある文面になっています。
さらに都道府県教育委員会には「参考までにお知らせします」と、加藤長官名の文書を送付して市区町村教委へ周知を求めている点は、さらに曖昧です。
個人的には、教育現場での「弔意」は、個人に委ねるべきで、全体には馴染まないと思います。朝日新聞記事によると、橋本龍太郎、小渕恵三氏の葬儀の際は弔旗掲揚などを求めていたが、今回は「お知らせ」だと文科省は説明しているそうです。弔旗掲揚方法や時刻まで合わせて知らせているところを見ると実質的には「要請」の性質を持つものに見えますが、これはやはり個人の自由な思いに沿って行動する(黙禱したい人はする、したくない人はしない)選択が認められるべきものだと思います。受け取った側の大学や教育委員会の長がどう対応するかですが、「強制するものではない」ことを明示して周知する、あるいはそもそも通知を周知しないなど、一人一人の自由を尊重する対応であって欲しいと思います。