もしも我が子がLGBTQだったら─「愛するために、その人を理解する必要はない。愛すること」 | 家を安全な場所にするために
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自分から声をかけて、友達になってくれたLGBTがたくさんいます。
自己中心的ですが、多様性を知りたかったのが初めはきっかけ。ただ気づいたことは本当に優しくて、素敵で、私なんかよりいろんなことに気を配れて尊敬します。
みんなのことを一人の人間として本当に大好きです。
声かけてよかった。
理解をしようという姿勢は大事かもしれない。
でも完全理解は無理だし、なんなら本人たちも理解できてないという話も聞きますから、絶対ストレートには理解できるはずがない。
カミングアウトもなかなかできないと。
これで家庭環境が変わる人も中にはいると聞くので、
計り知れないものを抱えているんだなと思います。
そんなことを小難しく考えすぎずに、その人の真の人間としての良さとかが大事にできる社会ができたら幸せなのにな。
注目のコメント
昔は人と同じことや同じような見た目をしていないと世間から白い目を向けられていたけど同一の人なんていない。
多様な人たちがいることにまずは目を向けることだと思う。
誰一人同じ人はいない。
それに気付けた過去に感謝。親は理由なく子供を愛し続けられるけど、
我が子が世間的にも堂々と愛せる人、愛される人を見つけて、
親から自立したあと、孤独じゃなく幸せに生きられるのかを、
親は心配して、過剰反応するんじゃないかな。
いずれにしても荒波なことは変わらないから。今日は、「国際カミングアウトデー」です。昨日、海外の友人とLGBTQについて語り合っていましたが、彼女の国でもまだLGBTQについて根深い偏見があると言っていました。日本ではどうかと聞かれ、自分自身が普段あまりこのことについて考えていないことに気付きました。