なぜ、理系は難しい本を多読できるのか?
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注目のコメント
理系の場合、本を多読するというより、論文を多読することの方が多いかと思います。論文の多読が可能なのは、その論文の大事なところ(何が引用されているのか、何に引用されてるのか、誰が書いているのかなど)がわかってて、Abstract(概要)があって必要なところだけ本文読むからかと。本も一緒で、内容の少なからずが出る前書き後書き著者略歴目次など見て必要なところだけ読めばいいと思います。
現代文の先生に、多く広く読むことより、一人の作家を深く何度も読むことを勧められ、小林秀雄をひたすら繰り返し、読んだのを思い出しました。文体や言葉の型をつくるには良いトレーニングだったと今になって思います。
難しさの定義はそれぞれですが、建築の意匠系の書物は哲学や歴史によって武装されていることが多く、時には数学や生物学まで及びかなり難しかった。磯崎新さんや原広司さんを読破するのは学生時代にとっては至難の業でしたが、めちゃくちゃ読みました。誰でもそうだと思うのですが、その人はその本や論文を難しいから読んでいるわけではないですよね。多く読んでいるように見えても、全てを読み直して理解し直しているわけではないのかもしれません。
論文や学術書はその分野なら8,9割理解していて新しい内容はほんの少しだったりします。大抵の場合そのほんの少しの部分を知りたくて読んでいて、理解することで自分の考え方ややりたいことに使えるかを判断しているのだと思います。