【島田太郎】長時間労働なんかしていたら、もう生き残れない
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『能はARである』は名言ですね!
どんな芸術も一方的に送り手から与えられるものではなく、送り手のセンスと受け手のセンスの邂逅がなければ成立しないという点は共通してるのですが、やはり西洋の芸術は送り手のオリジナリティの比重が大きいですね。
能は作者のオリジナリティより演じられる場におけるエクスペリエンスのほうが重要で、受け手は能という表現のプロトコルを理解して、そのプロトコルを通じて演じ手と自分の脳をチャネリングするんだと思います。そうすると演じ手の演技に促されるままにその場に風景や光や匂いなんかが現れてくる…。回りくどい大げさな言い方しましたが、なんかそんな感じがすると思ってました。それを『能はARである』と一言でズバリ表現されていて、なるほど!と。
日本では中世から拡張現実の表現手法が考え出されていたんですね。しかもゴーグル不要で!(笑)
注目のコメント
申し上げたかった事は、視点をズラす事、
話を鵜呑みにしない事、
ステレオタイプにハマらない事、
そしてそこから新たなコンセプトを産み出す事です。
日本の歴史で賞賛されるのは、戦国時代と明治維新
そしてこの流れは、吉川英治と司馬遼太郎が貢献
していると思います。
彼らはこの時期の話しか書かない、これは日本人に
対するエールなのです。
私が、江戸と能の話を思いついたのは、
ハラリのホモサピエンスを読んだいた時です。
ハラリは1700年頃のヨーロッパの戦争の絵画と
1960年代の人の苦しみにフォーカスした絵画を
比較して、時代の変化を言います。
しかしその時代日本は、天下統一で戦争を終え、
人の苦しみを表現する能を育んでいた。
結果戦争しない日本の戦争技術は遅れ、明治維新
で巨大なショックを受けて、激烈に動き出すのです。
しかし昭和に入り、輸入したアイディアである、
帝国主義に自らはまり、本来の人間の虚しさを
意識する、能の精神を忘れるのです。
日本は未だ、明治維新以来のショックから
立ち直っていないと思います。
だから再び冷静に、自らの歴史に隠された知恵から
次のコンセプトを編み出さないといけないのです。
これはほんの一例です。ビジネスにおいても、
何故デジタルで日本が遅れたかを考えて、
次のステージを、描かなければならないのです。「妄想力」というと、誤解されそうですが、妄想できる力は「知力」そのものです。そして、妄想力の源といえば、「よく学び、よく遊べ」ならぬ、「よく働き、よく遊べ」だと思っています。
今回、「能」を例にとった「AR力(拡張現実)」なるものが登場します。それは、デバイスを使わずとも、脳が勝手に拡張現実する力。
教養、感性、多様な経験、人生と通じて養ってきた問題意識、そうしたものの集大成として、本来は見えてないものが「見えてくる」。それが「AR力」だと、今回の取材を通じて思うに至りました。
「明治維新ばかり讃えてないで、その前の250年にわたる平和と文化にもっと着目せえ」と、島田さん激励から途切れなく続く能の神髄。これは取材時に実際にお話しいただいたことをそのまま再現しました。それだけ、取材した私たちもそれだけ腹落ちしたことでもあります。【勉強になる考え方】
医者は特殊な職業で・・・ただひたすら自分の興味のある疾患や病態を突き詰めるために24時間勉強しています(しているつもりです)。それは家に帰っても、わたくしであれば、呼吸や肺やがんや感染症や免疫や・・・何か違うことを考えているコトが多いです。
妻にも「話聞いてなかったでしょ・・・」とよく言われますが、聞いていても何か違うことを考えているので通常の理解ができないんだと思っています。
ということで、島田さんのお話しもとても勉強になります。