【西 和彦】混沌とした時代を生きるには? 風と波を感じ取れ
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西さんがいなくても他の誰かがそれをやっていただろうと言われているが、そんなことは無いと思う。アスキーは西さんがいなければ生まれなかったし、アスキーが日本のパソコンメーカーにMicrosoft Basicを売りまくらなければ、今のマイクロソフトは無かったかも知れない。連載の最初ころのPickで書いたが、今日本に必要なのは西さんのような方だと思う。是非、ご自身の作られる大学でそのような人材をたくさん排出して頂きたい。
注目のコメント
古今東西,成功すると最後は学校を作りたくなるらしい.京都にもいるし,スーパーの創業者もそうだった.
面白い話でした.以下で.
https://newspicks.com/news/5394865?ref=user_2112738これだけの波乱万丈の人生は探してもなかなか見つからないので、せひいろいろな経験、教訓を若い人たちに伝えていただければと思います。これだけ読むとちょっと枯れた感がありますが、まだまだ西さんにやっていただきたいことは山のように残っているし、若い人たちからもエネルギーをもらったらいいのではないでしょうか(少なくとも私はそうしています)。
アスキー創業者・西和彦さんの連載第7回(最終回)です。
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若い読者は知らないかもしれない。あのマイクロソフトがベンチャー企業だった1970年代後半、創業者のビル・ゲイツとポール・アレンの傍らに、ボードメンバーとして一人の日本人がいたことを。その日本人こそ当時まだ20代だった西和彦氏だ。
しかし、西氏は経営方針の相違からビル・ゲイツと決別し帰国。アスキーを上場させ、出版、ソフトウェア、半導体、通信事業を拡大するが、バブル崩壊とともに経営が悪化し、社長の座を追われることになる。
波乱万丈な「半生」とその「反省」を語り尽くす。(全7回)
■第1回 ビル・ゲイツとの出会いと決裂をすべて話そう
■第2回 ビル・ゲイツに電話「理想のパソコンをつくりたい」
■第3回 「人脈と情報」の2つを持てば、大きな仕事ができる
■第4回 ビル・ゲイツに対抗したくてアスキー社長になった
■第5回 経営悪化の地獄。CSK大川功さんの「奴隷」になる
■第6回 学問の世界に身を置いて、精神の安定を保つ
■第7回 混沌とした時代を生きるには? 風と波を感じ取れ