【西 和彦】ビル・ゲイツに電話「理想のパソコンをつくりたい」
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昨日のDJ社長のビジネスの勉強もそうだけど、もし西氏が英語でビビっていたら何も起こらなかったでしょう。「○○は無駄だ」(○○にはMBAとか英語とかがよく入る)と、やってもいないうちにいう人がいますが、選択肢が増えるのは間違いないと思います。そして、無駄かどうかは自分が生かせるかどうか(英語が喋れる人が全員ビル・ゲーツに電話をしたわけではない)。
アスキー創業者・西和彦さんの連載第2回です。
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若い読者は知らないかもしれない。あのマイクロソフトがベンチャー企業だった1970年代後半、創業者のビル・ゲイツとポール・アレンの傍らに、ボードメンバーとして一人の日本人がいたことを。その日本人こそ当時まだ20代だった西和彦氏だ。
しかし、西氏は経営方針の相違からビル・ゲイツと決別し帰国。アスキーを上場させ、出版、ソフトウェア、半導体、通信事業を拡大するが、バブル崩壊とともに経営が悪化し、社長の座を追われることになる。
波乱万丈な「半生」とその「反省」を語り尽くす。(全7回)
■第1回 ビル・ゲイツとの出会いと決裂をすべて話そう
■第2回 ビル・ゲイツに電話「理想のパソコンをつくりたい」
■第3回 米国マイクロソフトのボードメンバーになる
■第4回 ビル・ゲイツに対抗したくてアスキー社長になった
■第5回 経営悪化の地獄。CSK大川功さんの「奴隷」になる
■第6回 学問の世界に身を置いて、精神の安定を保つ
■第7回 混沌とした時代を生きるには、風と波を感じ取れ家庭が裕福で親に理解があるのだなあ。
大学に行かせてるのに起業してそこの社長に親を据えるとか、なかなかできるものではないし、高校時点でこっそり東京行きの飛行機に乗るだけの経験と知識と自由に使えるお金がある子どもってのもなかなかいない。
子どもの頃から世界中に行ったことがあったり留学してたりいきなり英語でアメリカの知らないところに電話できる、というのは相当の教育レベルの高さでしょう。
とはいえ、行動力がとてつもないというのは勿論あるわけですが。