コラム:政府・日銀の共同声明、修正の可否を考える=井上哲也氏
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注目のコメント
菅新総理はアベノミクスを継承するという立場のようなので
「日銀は「共同声明」の翌月に就任した黒田総裁の下で実際に「大胆な金融緩和」を実施してきたが、現在に至るまで物価目標を達成できていない」
ことについてどうするのか? が問題だろう。
「「共同声明」の見直しを行えば、日銀にも雇用維持を担ってもらうべきとの主張が生じうることは想像に難くない」
という。それは
「インフレ率を押し上げ雇用を拡大することで2つの目標をともに追求しうるので、目標達成にジレンマが生ずる可能性は低い」
からだと。しかし
「筆者は日銀に雇用維持の目標を付与することには慎重であるべき」
で、それは
「政府の方が効率的に対応しうる一方、日銀に役割を担わせれば新たな副作用が懸念され」
その副作用とは
「日銀による新型コロナ問題への対策においては、無利子・無担保融資を行った金融機関へのバックファイナンスや、社債・CPの買い入れ枠の大幅な拡大など、資金供給の相手や条件、規模の面で、資源配分に対するより直接的な介入を意味する」
からという。しかし、資源配分への介入の方が経済への直接的な介入であり、それは金融政策より財政政策の方に強くある副作用ではなかろうか?
「一方で、物価目標を「共同声明」の中で維持することには、依然として意味があ」り
それは
「日銀が物価安定を通じて経済の発展に寄与する役割を担うことは日銀法に明記されており、国民の意思を反映して国会が決め…政府と日銀の協議によって変更を加えることのできる次元の問題ではない」
また
「低インフレの継続が構造的な要素に影響されているとの理解も広く共有されている。その意味で、今や、物価目標の達成如何が金融政策の信認に深刻な影響を与える状況ではなくなった」
という。しかし、これらは物価目標共同声明は大して意味がないと言っているに等しくないか?
物価目標の問題は、日銀が長年達成しないことと、それを政府が容認していることであり、当事者が無くても良いものにしていることである。日銀がサボった結果なら、放置する政府にも責任がある。日銀が何をしても達成不能な目標なら総括し、廃止して別の事を始めるなどすべきだ。このどちらもしない事が問題なのである。