【落合陽一】子どもの教育格差と自己責任論
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NewsPicks の Weekly Ochiai に出演しました。
前回の「コロナ格差と教育を考える」に続いて今回は「子どもの教育格差と自己責任論」と教育格差がトピック。
なかなか白熱した議論が繰り広げられたが、こんな議論をしていては、教育格差の課題は一生解決されないな、、、と猛省した。そもそも番組として教育格差の実態や自己責任論について全く言及できていないので、観てくださっていたかに申し訳ない気持ちも。
番組が終わって、もやもやする気持ちしか残らなかったので、書くことにしました。
https://note.com/edmatsuda/n/ne527c22852fe確かに教育のデジタル化というのは、手段が上滑りしているような印象を少し持ってました。
イメージの持てない現場にタブレットが配布されたとしても、テレビ授業とKindleくらいの機能しか活かせなさそうです。
デジタル化を用いてでも、やりたい目的に向かって行動している人、目的を果たしている人に対してデジタルツールは行き渡って運用されるべきなのかなと思いました。
そうすると、エリート教育と高額教育ばかりにデジタル化が浸透して、より格差が広がる!と思うかも知れませんし、既にそんな感じかも知れません。
けれど、子供たちの底上げを本気でやっている団体、教師は必ずいるはずです。
そうゆう人に、先進的に使ってもらって、それを見本にするなり、その人・団体自体がスケール化する事がいい流れなのではないでしょうか?
それこそ、デジタルの醍醐味です。
このような取り組みは自治体単位でやれるものなのかな?と興味を持ちました。
子供たちの基礎学力の向上について
僕が教育のことを考えてから、一貫して思う事は1つだけ。
幼稚園、保育園の留年の自由。
10歳までの子どもの発達の個人差はハンパなくでかいのに、みんな小学1年生でおんなじ年齢でスタートを切らなければならないのはキツい…。
高校や大学で留年したって遅いです。
いろんな弊害はあるだろうけれど、学習機関や過程がその選択をできる自由があると、人生の変わる子供がたくさんいると思います。
あと、今回の企画は、かなり面白かったです。
落合さんと多人数の企画になってから、ちょっとテレビっぽいところがあったので、昔のような感じで良かった。
松岡さんが憤っていた事を、勝手に自分なりに解釈すると、
デジタル、多様性、個別性、などのリソースは、トップアップには有効なんだけれど、格差の下の方はそのようなロジックで動かないし効果も効かないんだよ…と、
そしてそのような確認や答え合わせがなされずに、スローガンや気持ちの良い響きだけが一人歩きすると言う状況に憤りを持っていたのではないかなと思いました。
勝手な想像ですけど。熱がある対話、面白かったです。
そもそも、こんな短い時間でちゃんと対話をしようとする事自体無理がある時はある気がします(無い時は無い)。
対話って本当に対話する人同士のケミカルで決まるものだし、今回みたいにギュっとした所を違う言葉で対話していって、2時間後、3日後、5年後に理解出来る事もあります。
ダイバーシティで対話するってそういう事では無いでしょうか?
『空気を読まなきゃいけない』という信仰が日本にはあって、黙るのが当たり前になっている人も多いので、このくらい話してもいい場所はあるんだよって良い提示になっていたら良いな、と思いました。笑
自分のコミュニティや日本の当たり前はコミュニティや日本内だけの当たり前であって、人類の当たり前では無い。一人一人どう生きて行くか、どう対話していくかは自由でいいはず。
お題について話がされてるか、は学会やニュースでは大切かも知れませんが、ここでは、毎回のテーマで専門家の方からどういう視点と会話が出てくるのかの方が私は個人的に楽しみです。