ゼロから考え直す「教育」のかたち | 遅いインターネット
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注目のコメント
記事にとても共感いたしました。
私がモンテッソーリ教育を追求している
【究極の使命】は、
《子ども達には
つるまない人になって欲しい。》
という一念からです。
《周りと巧くやらないと浮き上がってしまう》
という恐怖にがんじがらめになっている
思春期の子ども達を開放してあげたい。
それには、多角的なアプローチ法を有する
オルタナティブスクールは必要です。
私の専門のモンテッソーリ教育も
その一つになりますが、
幼児へのアプローチが
日本の伝統的教育とまるで異なる。
☆自己選択を最大限に尊重する。
☆人、物、自分自身を
傷つけること以外は自由が保証される。
☆動きながら学ぶ。
☆自立と自律を目指す。
などなど。
一般的には大人の嫌う、
【生意気な子ども】
になるかも知れません。
しかし、この教育を受けた子ども達の
追跡調査では、
【人に流されない】
という特性が顕著に現れている。
モンテッソーリ教育に限らず、
幼児期、児童期、思春期に合わせた
オルタナティブ教育の受け皿は、
ますます日本で必要とされると思います。不登校になりがちで、通級通う子を身内に抱えるものとして興味深く読んだ。
教育においての学校は装置という考え方は同意。
教育の目的というのは、世の中を生き抜いていく力を実践させる機会を提供することだったり、それにより自己効力感を身に付けさせることだったりすると思う。あとは、良くない環境から脱出するための場でもあるかもしれないけど。
そう考えると、勉強というものの位置づけも変わってくると思うし、学習指導要領も弾力的な運用が必要となる。当然、初等教育から中等教育、高等教育での受け入れ態勢も多様性が必要となってくるかと思う。こういったフリースクールというのは、オルタナティブなもので、主流派にならないものであるが、存在していることで救われる子もいることは確か。選択肢として考えられるような存在になってくれば、多様性を認め合うような世の中に少し近づく気がする。