「大坂なおみは100%受け入れられるよ」全仏欠場もレキップ紙記者が称えた勇気と尊厳
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記事のなかで、運営を動かして彼女のメッセージ発信を受け入れさせた大坂なおみのアクションが、これまで差別と戦ってきた数々のプレーヤーの歩みになぞらえられる。
テニスに縁のない自分にも親しみがあるのは男女同権のために戦った女子テニスプレーヤー、ビリー・ジーン・キングの名前。映画「バトル・オブ・セクシーズ」でエマ・ストーンが演じた女流チャンピオンだ。
先達の彼女たちは自分自身がコートの中で差別を受けていた事と戦ってきたのであって、大坂なおみはそうではないのではないか?という指摘もまた「スポーツに政治を持ち込むな」という主張からは導き出されるのだろうと思うが、私はそうした指摘はただ単に「前例との違い」を指摘しているだけにすぎず、反論として有効な指摘にはなっていないのではと感じる(逆に言えば「差別に反対するということがまさに自分自身の問題である」という点では、前例と全く同じであるとも言える)し、前例とは違うことをするからこそパイオニアなのであると思う。
恐らくは世界が問題にすべき差別はこうした米国の人種問題に留まることはなく、イスラム諸国における女子教育への抑圧問題や、インドのカースト制の問題など、数限りなくリストが増えていくのだろうと思う。こうしたリスト間の扱いの不均衡にアンフェアさを感じ「日本人に直接関わらない差別問題に何か分かったふりをして発言するのはやめた方がよい」という主張もよく聞かれるものだが、自分が思うのは「分からないから判断停止で終わらせてよいものではなく、よく分からないものを知っていく努力が必要」ということである。それに大坂なおみの直面している問題がまさに日本人の直面している問題だといえるのは、まさに彼女が日本人であることにその理由が求められるだろう。日本人はナショナリズム的同胞意識の上でも、彼女の発したメッセージを受け止めるべき局面にいるのだと考える。