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「これが今生の別れになるのか」 新型コロナウイルスで面会できないことに揺れる家族の思い

新型コロナの感染対策で、最期の大事な時期であっても面会を制限する医療機関が増えています。大事な家族を看取れなかったと苦しむ遺族から相談を受けている患者会代表の片木美穂さんが、あるご遺族の話を紹介します。

私は2006年9月から卵巣がん患者さんの支援活動をしています。

「通院している医療機関で新型コロナウイルスの集団感染が起きた」

「新型コロナウイルスで医療崩壊したときにどうなるのか」

今年に入り新型コロナウイルスによる不安を訴える患者さんが増えました。また対面での相談が行えず、オンライン会議システムなどを利用するようになりました。

今回は、あるご遺族に了承をいただいたうえで、新型コロナの影響で変化した別れのあり方が、その後もご遺族に深い傷を残し続ける問題をご紹介したいと思います。

※なお個人が特定されないように、仮名を使用し、一部一般化して記載しています。

新型コロナの影響で増えた家族・遺族への支援

相談支援のなかで一番変化を感じたのが、患者さんのご家族・ご遺族の支援が増えたことです。

「患者さんの診察に同席できなくなった」

「入院中の患者さんに面会できなくなった」

「家族の帰省が叶わないなか1人で法事をすることになった」

「会社に行く回数が減り、家にいると家族が亡くなった事実を感じて寂しい」

新型コロナウイルスの影響による病院の対応の変化に戸惑い、不安をおぼえる家族、孤独を感じ思い出話をしたい、寂しい気持ちを聞いて欲しいといった家族への支援が増えました。

東京で離れて暮らす母の再発

藤原忠志さん(仮名、40代)は愛知県の大学病院で医療に携わる仕事をしています。

2015年の正月休みに東京都の実家に帰省した忠志さんは、母の照子さんが近々卵巣の手術をする予定であることを知りました。

「自覚症状もないし(例えがんであっても)早期発見だから心配しなくていい」

照子さんの言葉を信じ、手術の結果を待つことにしたそうです。

手術の結果、照子さんは卵巣がん・ステージⅢCであると診断されました。

手術で目に見えるがんは切除できたとのことでしたが、その後、抗がん剤治療をすることになりました。

照子さんは、忠志さんの父である夫の滋さんと二人暮らし。

年寄り2人の生活でがんと向き合うのは大変ではないかと心配する忠志さんに「なにも心配はいらない」と両親は言ったそうです。

忠志さんは大学病院での仕事が忙しく、休みの日も疲れて実家に帰る時間を作れませんでした。

ときどき実家に電話をし「問題はない、元気にしている」という照子さんの声に安心していました。

そして2018年、まとまった休暇が取れた忠志さんは実家に帰省しました。
そのとき忠志さんは両親との連絡を電話で済ませていたことを後悔したといいます。

「母は手術と抗がん剤治療で一度は寛解したものの、1年ほどで再発、そのあとは、ほぼ途切れることなく抗がん剤治療を続けていたのです」

照子さんのお腹は腹水が溜まり妊婦のように膨らんでいました。

悪化する病状、看護する父の負担

2019年の秋、照子さんは抗がん剤治療をしないという意思表示をしました。

2020年に入り少しずつ照子さんは体に痛みを感じ、腹水が溜まって食欲がないなど辛い時間が増えてきたといいます。

滋さんは必死に看病と家事をしていましたが、疲れが見えてきました。

忠志さんはなんとか滋さんの負担を減らしたいとして、愛知県の自宅と東京の実家を往復していました。新型コロナの影響もあり新幹線は避け、自動車で移動をしていたそうです。

実家に帰った時は自動車で買い物に行き、滋さんを休ませるため夜中は忠志さんが照子さんのベッドの横で眠ることにしたそうです。

ある日、いつものように眠る準備をしている忠志さんに照子さんが話しかけました。

「これ以上、お父さん(滋さん)の世話になりたくない」

「私が生きていることで迷惑をかけていることが辛い」

滋さんはもともとマメな性格で、家事や日曜大工などなんでも自分でこなしました。また、あまり他人に頼るのが得意な性格ではありませんでした。

「父さんは迷惑なんて思っていないよ」

忠志さんが返事をしても、照子さんの思いが変わることはありませんでした。

息子からの相談 母の意思と父の戸惑い

「夜分に申し訳ありません。少しだけお話しできませんか?」

忠志さんはこのときはじめて私に連絡をしてこられました。

実は忠志さんとは学会やセミナーなどでお会いしたことがありました。その際に照子さんの病気のことを伺っていたので「なにかあったときのお守りがわりに」とLINEのアドレスを交換していたのです。

突然の照子さんの意思表示に忠志さんはとても慌てていました。なによりも滋さんの気持ちを考え、どう伝えようか悩んでいました。

「夜中だし体調も良くない日が続いて照子さんは不安な気持ちになっているのかもしれませんね。少し眠って、翌朝落ち着いて3人でお話をしてみてはどうでしょうか」

翌朝、忠志さんは照子さんと滋さんと3人で話をしたそうです。

滋さんは「家で一緒にいたい」と強く主張したそうです。

しかし、照子さんの思いは変わりませんでした。しぶしぶ滋さんは入院することを了承したといいます。

照子さんは抗がん剤治療をしないと意思表示をしたあとも、腹水を抜いてもらったり、痛み止めをもらったりするために卵巣がんの治療を受けていた病院に通っていました。

その病院からホスピスを紹介してもらい、ホスピスの面談を受け、照子さんの希望でベッドの空きがでるまで順番待ちをすることにしました。

「これが今生の別れだと言うのか…!」ホスピス入院

何日か経過し、ホスピスから入院ができる準備が整ったとの連絡があり、照子さんの体調も日に日にしんどくなっていることから、翌日入院することになりました。

「車でホスピスまで送ってほしい」

滋さんから連絡をうけ、忠志さんは仕事が終わったその足で東京に向かいました。

翌朝、忠志さんの車に必要な荷物を積み込み、後部座席に照子さんと滋さんを乗せホスピスへ向かいました。

照子さんの希望で少し遠回りし、忠志さんが幼いころ住んでいた家の前を通って病院に向かいました。車内では照子さんはなにもいわず窓の外をじっと見ていたそうです。

やがて車は病院の駐車場に到着しました。滋さんが到着したことを携帯電話で告げると、数名の病院スタッフが駐車場までやってきました。病院のあるフロアがホスピス病棟になっており、現在入院中の患者さんしか入ることができないといいます。

医療スタッフが車椅子で照子さんをホスピスに連れて行くので、荷物を駐車場で預かりたいという説明があったそうです。忠志さんが車のトランクを開け荷物を受け渡していると、滋さんの大きな声が聞こえました。

「せめて車椅子を病棟の入り口まで押させてほしい」

滋さんが車椅子を押していくなら自分も荷物を運びたいと忠志さんはお願いしました。

照子さんを乗せた車椅子が病院の入り口を通り抜け、受付を通過し入院病棟につながるエレベーターの前に到着しました。そこで病院のスタッフからここで交代するとの申し出がありました。

滋さんはゆっくり車椅子のブレーキをかけ、照子さんの前に回り込みました。

そして照子さんの手を握り、涙をハラハラこぼしながら何度も「ありがとう」と言いました。

照子さんは何も言わず目に涙を溜めて滋さんの顔をじっと見つめていたそうです。医療者に促され照子さんはエレベーターへ乗り込み、ドアが閉まりました。

重い足取りで車に向かい乗り込むと、滋さんは絞り出すように言いました。

「これが今生の別れだと言うのか……!!」

それから1週間ほどで照子さんは医療スタッフに見守られ天国に旅立ちました。

照子さんの葬儀は滋さんと忠志さんの2人だけで行いました。

その数日後、緊急事態宣言は解除されました。

コロナ対策を理解はしているが 引きずる心の痛み

6月、忠志さんから連絡があり私は再びお話をしました。

照子さんの最後の時間について「(滋さんに)迷惑をかけたくない」という気持ちを尊重したことについて、忠志さんは病気の当事者である患者の気持ちを尊重するのは当然だと話してくれました。

一方で、滋さんが「今生の別れ」といった言葉が刺さっているようで、その言葉の通り、面会できる機会もなく照子さんが旅立ったことにモヤモヤしている様子でした。忠志さんはそれがどうしてなのか、うまく言葉にできないようでした。

次に連絡があったとき、忠志さんは新城拓也先生が書かれた「新型コロナウイルスで緩和ケアは自殺したのではないか? 医療者は、死者の権利を冒涜している」を読んだとして、私にその感想を話してくださいました。

「病院に勤める立場としては患者さんを新型コロナウイルスから守るのはもちろん、医療スタッフを新型コロナウイルスから守らなくてはなりません」

「どんなに患者と家族が最後の時間を共に過ごしたいと願っていても、様々な事情でその願いが叶わないこともあります」

「たとえ最後の時間を共に過ごせたとしても “ああすればよかった”という思いは湧いてきて、多くの遺族は後悔するのだと思います。」

でも患者さんの息子という立場で忠志さんはこういう感情もあるといいます。

「1人の遺族としては最後の時間を一緒に過ごしたかった。何もできなくても手をさすって話しかけてあげたかったという思いがあります」

「新型コロナでたいへんなときだったから仕方がないのだと父も僕もわかっています、わかっていても側にいれなかったのはとても悲しいことです」

新型コロナさえなければ… 揺れる家族の心

新城先生の記事に触れられている日本緩和医療学会のリーフレットについてはこう、複雑な心境を打ち明けました。

このリーフレット「新型コロナウイルス感染症が拡大しているこの時期にいのちに関わるような病気で入院中の患者さんのご家族にお伝えしたいこと」には入院中の患者とそれを支える家族が「つながり」や「きずな」を感じつつ過ごせるためのヒントが6項目にわたり綴られています。

「リーフレットには可能であれば在宅での介護という方法があることが提案されています。なにかその言葉が“病院で診てもらいたいなら制限があることを受け入れてほしい”という説明に聞こえてしまうのです」

「でもがん患者を最後まで家で看取ることは簡単ではありません。きっと多くの家族の心は揺れるでしょう。いまはリーフレットに記載されていることが最善であることはわかりますが、少しずつでもいろいろな事例を積み重ねより良い提案に改善されていけばといいなと思います」

いっぽうで、忠志さんは日本緩和医療学会のリーフレットと、新城先生の記事を読んで気づいたことがあったといいます。

「父と僕は2人だけで母の病気を抱え込んでしまいました。両親は元気な頃からあまり人付き合いが活発な方ではなく他人が家に入ることを嫌がりました」

「でも、新城先生のような在宅診療を行う医師や訪問看護師さんなどに入ってもらって、父の負担を少しでも軽くすれば、母が“迷惑をかけたくない”と口にすることはなく、もっと家で過ごせたのかもしれません」

忠志さんと同じように、病院の面会制限があるなかで家族の最後の時間に立ち会えなかったご遺族からの話を何度か聞いています。

どの家族も「自分たちだけがよければいいわけではないから面会の制限は仕方がない」と病院の対応を理解し受け止めようとされています。

その一方でやはり「この時期でなければ」「自分が仕事を休み看病に専念することができたなら」と後悔する気持ちを持ってしまうのです。

家族の願い、コロナ禍でも配慮を

「家族の願いの押し付けが患者さんや医療者を苦しめている」

そのような投稿をSNSで医療者がしているのを目にすることがあります。もちろん、なかには「それは確かに」と同意するエピソードもあります。

でも、家族に死が迫った時に自分の願いを優先することなく冷静に患者のための決断ができる家族がどれだけいるでしょう。患者さんのそばにいたい、声をかけたいと願うのは当然の願いではないでしょうか。

新型コロナウイルスという不測の事態に患者さん、医療スタッフを守るためどの病院も医療者も必死であることはわかっています。

それと同じくらい家族も患者さんとともにがんという病気と向き合い、新型コロナという不測の事態に、どうしていいのか悩み必死なのだと思います。

例えばですが、照子さんとおなじように一度はホスピスに入ることを希望したとしても、時間経過とともに考えを変える患者さんがおられます。

ある患者さんはホスピスの看護師さんとコミュニケーションをしっかりとっており、残された時間が何日かと尋ねたそうです。

「どうしてそのようなことを尋ねるのですか?」と看護師が質問すると、「家族に負担をかけたくないという思いは今でもある。家で息を引き取ることや、家族が仕事をその期間休み介護をするという迷惑を許してくれるならば家に帰りたい」という意思表示をされました。

ホスピスから家族に連絡が届き、家族に環境を整えてもらうことで患者さんは最後のほんの少しの時間を大切な家族とペットのそばで過ごすことができました。

このように病状の進行のタイミングを見て、患者や家族に今どうしたいか希望を確認をしてもらう。もちろん、すべてが予定通りに希望通りにうまくいくことばかりではありません。

しかし、そうした配慮があるだけで、患者も家族も孤独ではなく、より良い最後の時間になるよう気にかけてもらえているという温かい思いを感じるのではないでしょうか。

今の時点では難しいことでも、患者さんやご家族を支援する立場の人たちは考え続け、より良い方向を見つけていかなくてはなりません。

ご家族やご遺族が必要以上に辛い思いをすることがないよう、私たちは患者さんを含め家族や遺族の感情にも心を配らなくてはいけないのではないかと思います。

【片木美穂(かたぎ・みほ)】 卵巣がん体験者の会スマイリー代表

2004年、30歳のときに卵巣がんと診断され手術と抗がん剤治療を受ける。2006年9月、スマイリー代表に就任。2009年~14年 婦人科悪性腫瘍化学療法研究機構倫理委員、2009年~北関東婦人科がん臨床試験コンソーシアム倫理委員(現職)、2011年厚生労働省厚生科学審議会医薬品等制度改正検討部会委員、2012年、国立がん研究センターがん対策情報センター外部委員、2014年厚生労働省 偽造医薬品・指定薬物対策推進会議構成員、2015~19年一般社団法人 東北臨床研究審査機構理事。

2010年12月、「未承認の抗がん剤を保健適応に ドラッグ・ラグ問題で国を動かしたリーダー」として、日経WOMAN主催の「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2010」にて「注目の人」として紹介された。

また2019年9月、これまでの政策提言活動と患者支援活動が評価されInternational
Gynecologic Cancer Society(IGCS:国際婦人科がん学会)でDistinguished
Advocacy Awardを受賞。

ドラッグ・ラグ問題での経験を活かし、臨床研究の必要性や課題、医薬品開発についてさまざまな場所で伝える活動をしている。