【完全解説】日本人を縛るハンコのすべて
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はんこに関する小学生の自由研究が話題です。
「はんこってなんで押さなきゃいけないの?」 小学生の自由研究がガチすぎて「その辺の卒論超えてる」「将来有望」 (1/2)
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2009/07/news056.htmlなかなかハンコをやめられない理由のうちの一つに、民事訴訟法第228条第4項があります。「押印や署名があれば、その文書が成立していると推定される」という内容で、契約の成立をめぐった訴訟になった際、重要になります。
この民事訴訟法第228条第4項の「電子版」が電子署名法第3条。クラウドサインやドキュサインなどの電子契約サービスに、この第3条を適用できるのかどうかは長らく不明でしたが、9月4日に大きく動きました。
政府が、本人確認の際に二段階認証などの方法をとれば、適用され得るという見解を示したのです。
こうした流れを前向きに思う一方、そもそもの部分、民事訴訟法第228条第4項の是非も問わなければならないと感じました。現在は全く同じ印影のハンコが大量生産されていますし、3Dプリンターなどの技術により偽造も容易にできる時代になっています。そのため、ハンコよりも契約前に交わしたメール文などの方が、良い証拠になり得るのではないでしょうか。
現在の社会にそぐうものではなく、「法律のための法律」になっているように思えてなりません。旧態依然とした法律によって企業の生産性が下がっているとしたら、勿体ないことです。『ハンコの文化史 古代ギリシャから現代日本まで』(新関欽哉著)によれば、日本で「記名+捺印」という慣習が生まれ、海外のように署名(サイン)が根付かなかった、その秘密は明治時代の大論争にあったそう。
法律でハンコのない文書は裁判上証拠にならないと決められると、偽ハンコや盗ハンコが跋扈。そこで司法省は「サイン」にシフトしようとしたけれど、識字率が低い間は暫定的に「サイン」+ハンコにしようと提案。ところがこれに反発したのが大蔵省と銀行で、大量の書類に忙殺される彼らはサインが面倒なので、「記名」+ハンコじゃないとやってられないと。つまり大量の紙と低い識字率を前提にした「120年前の決定」を、今も日本人が引きずっているのには衝撃を受けたのですが、詳細は本スライド記事をぜひ。
ところで、クレジットの「お辞儀ハンコ」もまた取材チームで論争に。本スライドのデザイナー國弘さんへの敬意を込めたわけですが、「偉そうじゃないですか」「感じ悪くないですか」のような声が。無意味どころか時代錯誤でもある慣習なのだと感じずにはいられません(笑)。