リモート授業が露わにした日本の大学の不都合な真実 ニューノーマル時代の大学
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大学は受け身の知識を詰め込む場所ではなく、主体的に学ぶ方法と道標を示す場所であるべきだと考えています。そのためには一方的な講義では不十分で、学生からのアウトプットやアクティブラーニングを求める形に変えていかないといけません。講義単位と演習単位の配分の再考も一つの方法かもしれない。
日本の大学は学生にとっても教員にとってもぬるすぎた。ぬるくてよい学生は上客だった。けれど企業が新人を育てる力を失い、即戦力が求められるようになると、学生は大学にもっとバリューを求めるようになる。
ぼくはクライアントたる学生たちに「1回当たりの授業でいくらモト取ったか毎回計算して、低バリューだったら突き上げろ」と吹き込んでいます。高校でも教科書読んどいて、だけの授業はありました。
ただ、授業の質を上げたいのなら、教員も学び続けられる環境を整備しないといけない。学びの時間が少ないのは事実。
海外は指導やレクチャーだけで飯が食えると聞くが、日本は例えば授業を教えるだけの講師で飯を食うのが難しい。
教員は多忙すぎる。色々な作業で疲弊し、新たな学びを取り入れられていないのが事実。世間ではIT化が進むのに教育現場で進まないのは、教員が新たなチャレンジをするだけの時間と体力がないからではないのかと思います。
問題を指摘するだけでなく、どう改善していくのか。そこが重要。