【読書】外国人の心に響く、「日本の魅力」はこれだ
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注目のコメント
あのシェイクスピアの舞台に歌舞伎の要素をとりいれて、本場で評価されたのは、蜷川幸雄さん。
古典にたちかえると、かえって新鮮さがあって、ヒントになることが多いです。
ちなみに、白洲正子さんは、美術館に収まったものは、器物の終身刑と表現されたとか。
もちろん観るとこからスタートしたらいいと思いますが、セカンドステップは自分の好きな古美術なり芸術作品を手元に。
手でふれる、いじるなかで日本の魅力を実感する人がもっと増えたらいいなと思います。個人的には歴女と言えばよいのか、日本の歴史が好きでして、歴史で起きた個々のイベントを事象で見るのではなく、歴史上の人の一生をおって眺めることをよくしています。
目立った歴史上の人物だけでなく、その隣にいるような脇役がどのような視点に立ち判断しているのか、ライフイベントごとに何を考え決断して物事を動かしていったのかを学んでいます。
歴史におけるその時々の女性の立ち位置も変わってくるので、背景と共に女性のリーダーシップがどのようなスタイルで発揮されていたのか、日本史ならではのトピックが興味深いです。仕事で成人向けマンガを描いている職業エロ漫画家です。
国内では何とも言い難い微妙な立場ですが(笑)、外国人、特に欧米人の友人には敬意と親しみを込めて「Sen-sei!」と呼ばれることが多いです。
それはやはり葛飾北斎の影響が大きく、それがたとえオリエンタリズム的な意味であったとしても、海外での浮世絵人気は相変わらずのようです。
彼らにとっては、浮世絵は現象の捉え方の独自性以上に、西欧文化においては絵にするに値しない「取るに足らない」ことをばかり描いていることの物珍しさが面白くてたまらないとのこと。
たとえば西洋において描かれた裸体というのは、どうしても中世的なキリスト教社会へのアンチテーゼといった意味を持ってしまい、どこまで行ってもタブーを犯す、伝統を破壊するという「芸術」「前衛」的行為として受け取られてしまうわけですが、そのような文化的背景のない日本人にとって、春画はそういうものではありません。どちらかと言えば、出来事の面白おかしい描写という側面が強いでしょう。
「裸体」のみならず西洋人にとって絵画は、キリスト教と切っても切れないものです。「神の国」というイメージに囚われた西洋人からしたら、日本の絵画は「些末」で「取るに足らない」浮世ばかり描いている、非常に珍奇で独創性に溢れるものなのでしょう。
ヨーロッパ文化圏において絵や美術は言語とは別の表現、あくまでそれ自体独立のものですが、日本人にとって絵は、ひょっとして文字の一種なのではないかと考えるときがあります。
たとえばツイッターのようなSNSを見ていても、イラストや漫画を、文字の代用品として自分の主張をより分かりやすく伝えるために使っている人は決して珍しくありません。ここでは絵は文字のように感情やロジックを伝えるために存在しています。外国人はあまりこういうことをしません。
これは恐らく漢字という表意文字(あるいは象形文字)を使うことに起因する民族性であり、日本人にとって文字とイラストの区別は極めてあいまいで、どこからが絵であり、どこからが文字なのかあまり区別がついていないようです。
どうして日本人ばかりが「絵画」ではなく「マンガ」ばかり描いているのかの理由はここら辺に求められるように思います。知らんけど。