早稲田政経卒「発達障害」26歳男が訴える不条理
コメント
注目のコメント
早期発見はもちろん大事です。しかし境界領域の人たちはやはり、発見されずに社会に出ることは今後も続くでしょう。
なので社会側の受け入れが寛容になる必要があり、また転職によるキャリアのデメリットが受けないような社会が必要です。ミスマッチを防ぐ上ではインターン制度などを必須化するべきなのではないでしょうか。
その上で適合できない場合に、医療や行政などの出番になるべきです。
このケースでは早稲田大学にいけるのに、社会と馴染めないというジレンマなのですが、そもそもいい大学に行くことが仕事ができると言う免罪符である事が問題です。
大学を職業訓練と捉えて、そう言った大学入試制度に変えないと中々解決しませんね。
もちろん大学は本来は、学術を修める場所であるので、社会に馴染めないような異端な存在が集まるべきなのですが。
医学部もほぼほとんどが臨床医になるので、職業訓練の機能が求められていますが、医師の適正に合わないような(定義は様々でしょうが)人々が入学し、なんとなく医師になるのを傍目でみていると、根が深い問題です。
入学試験とは適正を測るものであるべきで、学力そのものを見てもただの暗記がほとんどなので、時間かければ達成できる可能性が高いです。この試験でわかる適正には、創造性や自主性を測るものはなく、ただ効率性や根性、忍耐などを測るのみです。せめて大学の卒業には創造性を測るような結果をもって判断してもらいたいものです。
医学部学士編入では、学力の成績のみでなく、今までのキャリアも評価(クリエイティブに成し遂げたこと)してくれるところが多いです。
医学部の一般入試も全て学士編入の基準に変更になれば、世の中変わるのにと思うこの頃です。この記事の方も、障害を自覚していれば、支援も受けられ、生きていきやすい選択をできたのかな、とも思います。そもそも通級に通うというのは、保護者の理解も絶対的に必要なのですが。能力の凸凹が大きいのが発達障害。早稲田に受かるくらいの学力はあるわけで選択肢が悪くて理解がなく心を病んでしまうのはホント残念。
コメントで佐藤さんがおっしゃっている数時間抜けるのは障碍者学級ではなく、通級指導教室ですね。特別支援学級などとはまた別の支援で行われているものです。
また通級については障害の有無で参加が判断されることもないので、そこに行っているからと言って障害があるということでもありません。
初めて通級による指導を担当する教師のためのガイド
https://www.mext.go.jp/tsukyu-guide/index.html
通級を経験すると、上記リンクにもある「担当している子供を丁寧に見て、指導や支援を工夫する」という、教育の本筋ですよね!ということが普通に書いてあります。
通常の学校の教室というのは人数も多く時間も長い分、「個々を見る」というところがしきれないところがあります。それは仕方ない。ひとりの先生じゃ。
通級は、少人数で、個人の特質を踏まえて、社会の中で過ごしていくにはどうしたらいいかを結構手厚く(とはいえ週に2コマくらい)指導いただくので、非常にありがたいです。
親の側としては、天才育ててる、と思うしかないです。「天才を殺す凡人」の秀才にならず、共感の神になるしかない、と思うようにしています。とはいえ腹立つこともありますけど。同じく早稲田政経を卒業し、発達障害領域で情報発信や検査ツールの開発をしている私としては、本当にこのニュースは居た堪れないもので、コメントすることにします。
国連総会において採択された「障害者の権利に関する条約」のなかに織り込まれている考え方の一つに「障害の社会モデル」というものがあります。
障害の社会モデルは、障害は個人の特性だけではなく、社会の側に問題があるとする考えです。
例えば、車いすの方が、目の前に階段を上がれない状況があるとしたら、それは個人の特性だけではなく、バリアフリー設計となっていない社会の側にも問題があると考えたりします。
発達障害にもこれと同じことが言えると考えられます。
生きづらさを個人の特性に帰責させるのではなく、社会の側が様々な特性を持った人とどう共存していくかということを考える必要があると切に思います。
学校教育の現場では特別支援教育や合理的配慮といった制度も形作られはじめています。小中が中心でしたが、高校、大学はこれからといったところです。
…母校について振り返ってみると、周囲の人が優秀でバリバリやっていける人が多く、自分の弱い部分とか苦手なところをさらけ出すのがとても難しい環境にあったと思います。
そして、仕事をしはじめてから、企業の側もどう対応するかということについても、まだまだ理解がされていないように思います。
そう、「障害の社会モデル」という考え方に立脚するならば、まだまだ「社会」の側に障害を生み出す要因があるというのが今の現状ではないでしょうか。
生きづらさを抱える人も、ともに共存していくことができる社会に向けて、事業者として周知を図りつつ、よりよい社会に向けてこれから少しでも貢献していけるよう、頑張りたいと思いました。