まったく校則のないドイツの学校が「学級崩壊」と無縁なワケ
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「校則があることにより窮屈な思いをするのは生徒ばかりではありません。生徒に対する細かい規則があることで、先生もそれらの規定が守られているかどうかをチェックしなくてはならなくなります。このことにより、そうでなくても部活等の時間外労働に忙殺されている先生に負担が強いられるわけです。そういったことも考えると、「校則があるのはダレ得でもない」と思います」
ほんとに…縛り付けることで整えようとする悪い癖…ここのとこ戦後75年で戦時中のことをよく学んだので、これも戦時中からの流れ…?と余計にそう思います。
と言いつつ、我が身を振り返れば、家庭で小学生の子どもたちに夏休みルールを作って縛りつけようとしている自分…いや、縛り付けるのではなく、生活リズムのため。これは家庭でのしつけ。大事なことかな。
ともかくいろんな角度から考えたいですね。
注目のコメント
多様性とか、つらい人にはほんとにつらい概念で、大人には、何かに基づく判断をしたがる人が少なくない。判断は力と同義になるのが学校組織。
多様性があると、大人の側には、許容とか受容とか寛容みたいなものが必要になるし、生徒の側にも自覚と判断が必要になるし多様性を尊重せねばならない。その先の家庭も同様。
日本で、どのように変えていくかという問いには、全てを少しずつに変えていくしかできないところではあるが(いきなり先生を総入れ替えはできないし、頭の中を総入れ替えすることもできない)、少しでもよりよい(この場合の「よい」はSDGs的ではあるな)学校になってほしいところだ。ドイツに住みたい。
ちな、小生の高校にも校則はなく、
質素剛健、自重自治、だけ。
私服も髪型も自由。
授業も好きなものだけ出ていつ帰ってもオッケーでした。
あの高校のおかげで今の自分があります。日本は教育予算が少なすぎで、現場教師に負担かけすぎ。
教師の負担が大きいから、問題が起きないように校則で生徒を縛って管理してしまう。
問題が起きたらどうしたらいいか生徒自身に考えさせる方が教育的なのに、最初から禁止して問題自体が起きないようにしてしまう。その方が現場の負担が少ないからだ。
何かあったらすぐに責任を追及する日本社会の風潮が、その傾向をますます加速させていったのかもしれない。
まず、基本教師は教科を教えることだけにに専念できるよう、民間機関を活用していく方向に改善していって欲しい。
聖域であるがゆえに、教職員間にも世間の常識からかけ離れた常識が作られてしまい、弊害と言える事件も生じてきた。
また、親や地域の大人、しいては日本人全体が、何かあるとすぐに十把一絡げに責任を追及しがちな思考パターンを見直す必要がある。特に教育には辛抱強く見守る寛容さも必要。