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まったく校則のないドイツの学校が「学級崩壊」と無縁なワケ

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多様性とか、つらい人にはほんとにつらい概念で、大人には、何かに基づく判断をしたがる人が少なくない。判断は力と同義になるのが学校組織。
多様性があると、大人の側には、許容とか受容とか寛容みたいなものが必要になるし、生徒の側にも自覚と判断が必要になるし多様性を尊重せねばならない。その先の家庭も同様。

日本で、どのように変えていくかという問いには、全てを少しずつに変えていくしかできないところではあるが(いきなり先生を総入れ替えはできないし、頭の中を総入れ替えすることもできない)、少しでもよりよい(この場合の「よい」はSDGs的ではあるな)学校になってほしいところだ。
ドイツでは学校と家庭の役割が分かれていて、周囲に実害をかける行為が許されないと明確です。これは学校だけでなく、社会で役割分担について合意があるからできていることです。
一方で、日本では全人格教育で学校が子どもの教育のほぼ全てを押し付けられています。このような社会からの押し付けや学校の忖度で、「児童・生徒は斯くあるべし」という価値観で校則が雁字搦めになっています。

政治でも会社でも地域でも、声の大きい大人が古風な価値観を押し付けようとする場面に溢れている社会で、ドイツと同じことを学校だけに期待することは責任放棄です。純粋な子どもの気持ちで、思考停止の彼らに「なぜ」、「どうして」をぶつけて、彼らの頭をかき乱すことから始める必要があります。
ジャーマンママ厳しそうですしねぇ、躾 (最近ムスメ達とyoutubeでハイジ観てるので、ロッテンマイヤーさんの印象)
「学校が「子供が将来社会に出た時にうまくやっていけるよう準備をするところ」であるならば、校則による「縛り」はむしろ逆効果なのではないでしょうか。」

かつての大量生産に従事する労働者が大量に必要な時代には校則による縛りは必要だったのかもしれません。しかし工場が海外に移り、イノベーションが求められている時代に、画一的な考えを持つ若者を育成することにどれだけ意味があるのでしょうか。企業も命令だけを聞き腹の中では鬱憤をため込むような人材は欲しがらないと思いますが。
主体性がない集団にとってはルールがある方がラクになる場合があるので、日本で学校や企業で全くルールを無くしてもうまくいくかは微妙なところだなと思います。

ドイツのようにそれぞれ個人の主張があり主体性もある集団なら変なルールは無くして自由に活動できた方が良いのかもしれませんね。
校則はある意味で過保護。校内でも国内法を厳格に適用すべき時代と思います。
校則で縛っておくと、先生が管理しやすいからだと思います。日本の学校は「とにかく問題が起きない様に」と言うことを前提にして、生徒たちに暗黙のうちに「考えないように」と言うことを強いているように感じます。そして、そのことに気づいている人が少ない。だから「私はこう思っている」と言うことが簡単には言えない「組織」になっていると思います。それが学校のみならず、職場でも、そして国全体でも同じようなことが言えるのではないでしょうか? 考えて、それを気兼ねなく発信できる「安全な場」を作っていくことが、まずは第1歩のように感じます。
「意味や効果」を考えずに、ただ「決めて、従わせる」...これは学校だけでなく、企業や組織でも似たようなことがあり、改めるべき日本社会の弱点だと思います。

それを理解し、実行できないと、個人の権利、多様性の受容など、全くできないことになります。

社会も組織も、「ルール」は必要です。但し、その「ルール」は、個人の権利や多様性を考慮したものであり、かつ、「ルールを遵守すべき意味、効果」が明確である必要があります。

もうひとつ、とても大事なことは「公正(フェアー)」であること、先生だから、上司だから、理不尽なことも仕方ない...これでは全く駄目です。

※個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません
社会を円滑に回していく仕組みとしてのルールなのに、
いつしかルールを守るための仕事が増えていく、、本末転倒な部分は多いように感じますね。。
ルールはあってもなくてもいいけど自分で決めろ。という尾木さんの意見に賛成。生徒が決めりゃいい。