大会での勝利という美しい「呪縛」から、逃れることはできるのか
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注目のコメント
素晴らしい内容でした‼︎
わたしのもとにも「大会がなくなってほっとしている」という声が
届いたときに、自前の大会の開催を考えていたわたしは
大会がなくなってかわいそうというのは
大人の思い込みなのかもしれないと思い、
本当に子供たちが望んでいることはなんであるのか、
またそういった思いをさせてしまっている環境を
変えていくことこそが大切なのではないかと思い直しました。
大会がなくなったからといって
子供たちが目標ややる気を失ってしまうような環境は
たしかに良いものとは言えないですもんね。
このコロナをきっかけに変えていかなければいけないことが
たくさんありますね。これは日本特有の部活動システムに起因する問題だと思います。
そもそも日本の部活動は、形式的には教育の一環と言いつつ、実態としては競技力向上に主眼を置く(その割に効率悪い…)という、コンセプトがぶれた特殊な状態です。
教育の一環ならば、はっきり言ってそこまで競技力向上に主眼を置かず、別に毎日練習しなくて良いし、メニュー作りや大会出場手続き等を全て生徒主体にして、「自分の好きなことを通じて主体性・目標達成・コミュニケーション等を学ぶ教育の場」としての機能に特化した方が生徒にとって有益だと思います。
一方で、競技力向上の場とするならば、その競技の専門知識がない教師が顧問を務めることはあり得ない話で、顧問の転勤による廃部や、やりたい競技の部活動が学校にないことで競技を断念する生徒がいる問題は真剣に解決しなければなりません。
理想としては、各学校には教育の場としての部活動は継続させ(複数競技を1つの部活動にしても良いと思う)、競技力向上したい生徒向けには、体育系の学校や各市町村単位くらいで各競技の専門コーチ有するスポーツクラブを作ってそこに通わせる、みたいなシステムがあれば良いのになあと思ってます。元運動嫌いなのに今は運動指導している立場の私だから言えることがあるかもしれません。
#スポーツを止めるな ということですが、そもそも別に止まらないと思います。そのスポーツを好きでやってるなら。
何の目的でそれぞれの子どもがスポーツしてるのでしょうか。
大会に興味ある人もいれば、ない人もいる。大会などなくてもスポーツをやる人はやるし、やらない人はやらない。今はママさんサッカーをやってますが、これは大人になっても一緒です。
私自身は運動嫌いを克服してフィットネスを仕事にし、今は運動が嫌いとか、苦手な人に家で出来る運動指導していますが、子どもの頃のトラウマが運動を遠ざけているケースは多いです。
運動は苦しいもの
運動はキツいもの
ハードなでなければ運動ではない
この信じ込みがとても大きく、大人になってからの健康増進の弊害になっていることがあります。
本当は全く違い、その人の体力に合ったものや、楽しいと思えるものを選び、何より続けることが大切です。続けた先にしか体力アップや筋力アップはありません。
通常、運動が得意な人が指導することが多いと思いますが、様々な人の気持ちが分かると、スポーツそのものがもっと発展し、社会の健康維持増進にももっと役立つのではないか、といつも思います。