アフリカ出身・京都精華大サコ学長 「学校に期待しすぎる日本人」への疑問 〈dot.〉
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注目のコメント
社会や家庭でも担える役割すら学校に押し付ける上に、それでは足りないと習い事にも通わせます。本人の自発的な意志があればいいのですが、親の押し付けで苦行になっている場合もあります。
個性は余暇などの自分の時間の使い方を知ることから生まれるとのことですが、まさにそのとおりです。
フレーム化された学校教育では知識の伝授によって、モノやヒトを見るための視野を与えてくれますが、それで何を見て何を考えるのかは個人の体験に依拠します。個人の体験が充実していなければ、せっかくの知識も本人にとって意味がないので、ますます苦行となります。
多くの大人には、労働が苦行になっており、自分なりの余暇の楽しみ方が見出だせていません。大人にできていないことを子どもに期待しても、子どもは混乱してしまいます。
大人にもフレームから飛び出すことと、自分なりの楽しみ方を見つけることが必要です。"学校というのは、基本的にはみんなが同じフレームで学ぶ場所/ /そこで個性はそれほど育たないし、育てることを学校に求めなくてもいいのではないか。"
それもそうかと思った。個性を伸ばすことを学校に求めること自体が無理があると。〜自分で判断し、「自分のためになるからこの教育を受けておこう」と選択できればいい。そこは、「選択の結果」でなければならない。
選択の結果にならないまま、「生きていく道はそれしかない」と思い込んで必死になったり、その教育を受けること自体が強制されていったりする現状があるならば、それは問題だと考えている…
子ども時代に、学校に拘束される時間の長さを辟易した1人です。
学校への過度な期待もそうですが、学校側も全てにおいて最高のものを提供出来ないことをきちんと認識すればと思います。
そこを認識できれば管理を強化させる発想へは向かわず、もっと自由を提供し「自由とは決断(選択)の連続」であるという、1番大切なスキルを身につけさせられると思うのです。