「必要のない人いない」多様性ある社会の実現訴え 大阪で追悼集会、相模原殺傷事件4年
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注目のコメント
この問題は、突き詰めて考えれば、簡単に答えが明らかになるはずです。
優生思想による、優れた人間なるものが恣意的な基準で定められたことに気づくからです。
あるときはアーリア人、あるときは天皇のもとの日本人。答えは常に自身の民族、体制を正当化するために用いられてきました。そもそもこの社会が知的労働へとシフトしている中で、求められているのは頭脳であることなんて、小学生でも知っています。ホーキング博士のいない社会など想像できません。また、逆に知的障害者が描いた芸術作品にはっとさせられることも少なくありませんし、発達障害者の中にも偉人とされる人物も多くいます。
結局、差別も優生思想も、結局は同じで、自身を正当化する手段に過ぎません。100年後、200年後、我々は何をもって優秀な人間というものを定義しているのでしょうか。わかるはずもないのです。全て歴史から明らかです。必要のない人いない。
そう思います。
そして
絶対必要な人、もいない。
今この世の誰が居なくなっても
世界は周り続けます。
多様性を認めるというのか
何か根本的に
捉え方が違うような気がします。多様性があることを受け入れていく包摂性が同時に必要と思います。
SDGsの「誰一人取り残さない」とも深く関わっていると思いますが,格差が進行している現社会では自分が,自分の家族が生きていくのが精一杯という人たちも多くいて,困難さを感じます。その中で何ができるのかと言われれば,心のバリアフリーと生活にゆとりがある人が自分のリソースを少し振り分けることでしょうか。