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「命を選別する価値観」にどうあらがう? やまゆり園事件「障害のある弟と重なった」 佐藤倫子弁護士の原点

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  • 23歳

    介護に関わる方の切実さ、障害を持つ方が社会や人に与えるものの大きさを感じました。

    施設に預けるということはその道のプロに援助してもらい、安心をもたらすことだと思います。
    しかし、施設に預けることは放棄だという考えを持つ人もいる。
    また、本人にもそういう思いを抱かせてしまうのではないか。
    ご家族の葛藤は想像を絶すると思います。

    気にしたくなくてもつきまとう他者からの視線、
    さらには、やまゆり園の事件から浮き彫りになった様々な意見。
    同じ人間で、同じ生き物であるのに価値、無価値の議論になるのは何故でしょうか。

    佐藤さんのように、弟さんとの生活から社会の中の改善したいことを発見し
    それが夢となり、職にした人もいます。
    私の友人にも、障がいを持った家族との関わりから福祉の道に進みたいという夢を持ち
    叶えた人がいます。
    障害を持つ方は、人に夢を与え、社会が一様ではないことを気付かせてくれる存在でも
    あると思います。

    選別、区別という表現が使われるべきではないし、そういう議論の対象になってはならないと思います。
    排除するか否かの議論ではなく、生きるべき、より生き生きと暮らすにはという議論に向かってほしいです。


  • 電子部品メーカー チームリーダー

    これはグッとくる

    なるべくして弁護士になったのかも

    産まれてくる子は皆平等
    経験をしてないので本質的にはわからないとこも
    あると思いますが
    マイノリティを切るべきではない


  • 管理部門の課長職

    最近では旧優生保護法による避妊手術などの問題もありましたね。
    今回の改憲草案は、より社会のセーフティネットという名の梯子が外されていくことではないかとの不安を覚えます。
    国民もこれまで自己責任論が強かったですが、コロナ禍以降一転して休業保障せよ等の声も現れて、正直それってなんか都合のいい自己責任ですね、と感じていました。

    社会福祉が後退するということは、国が公的責任を放棄するということです。近年、福祉も市場化され福祉は買うものとなってきていますよね。
    いつかは、こうした障害者施設をはじめ老人ホーム、保育園も本当に公的責任が放棄され一産業となるのではと危惧します。

    資本主義による効率や営利の追求も必要とは思いますが、そもそも現憲法に謳われるような平和や平等や最低限の文化的な暮らしが保障される国であることが大原則である、という根っこがある日本であって欲しいと思います。

    個人的には、国の社会保障費削減の手法が、生産性のない国民を切り捨てる思想を助長させているのではないかと感じています。


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