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誹謗中傷をめぐる議論で「匿名性は悪である」という論調も増えていますが、人間の根元的欲求である承認欲求が社会的な目から達成されづらい人に対して「匿名での発信・交流」が果たしてる役割はあるのでは?という内容と理解し、それはそれで大事な視点だと考えさせられました
結局悪いのは一部の少数の人であるという「ノイジーマイノリティ」という言葉がありますが、同じ匿名での発信をしている人も大多数は、社会的な役割や立場を捨てて平和的にコミュニケーションをとる手段になっているのもおそらく現実で、「匿名はけしからん」というのはやはり行きすぎた議論にも感じます
と、すれば匿名性を許容するプラットフォーム側が、その匿名を隠れ蓑に誹謗中傷を行うリスクには適切に対応する責任がある、と考える必要があるように感じます
匿名性を剥ぎ取った無菌のクリーンルームにすればよい、なんて簡単な話ではないことはよく理解できます。

問題は、匿名で発信するにしても実名で発信するにしても、受け手への思い遣りではないでしょうか。「社会に対して言いたいことがある」こと自体は尊重すべきですが、誰かに届くことを想定しない「垂れ流しのことば」を吐いてもいいわけではないと思います。それは社会の動かし方として有効ではないと思うし、私個人としても垂れ流しばかり見ているのはあまり居心地がよくないです。
承認欲求は誰もが持っているものですし、承認欲求があるからこそ頑張れるメリットもあります。上手に承認欲求を使って、ガソリンにしていけばいいと思っています。メリットデメリットを考えて、自分で判断すればいいのではないでしょうか。ただ多くの人にとってデメリットとリスクが目立つと思っています。
○○は悪なのか?という問い自体がズレてる。悪ならばその反対が正義なのか?立場変えたらそれは逆転したりしないのか?誰かの尺度で勝手に定義された悪などというマヤカシに素直に支配される人は、一度自己と向き合ってみた方がいい。大抵の誹謗中傷は、ホントは自分に向けたい言葉だ。
SNSも承認欲求の思いが見え隠れしても「節度のある使い方であれば」参照側としてはあまり気にすることは無いです。
ただ“節度のある使い方”という点を考えてSNSを使用・交流するほど価値観を見いだせるかは、個々人の価値観次第です。

ちなみに当方はSNS Accountを持っていますが、参照/ポスト双方しません。ほかに興味を持っていることがあるので、SNSに時間を割きたくないだけなのです^^;
マズローの欲求の5段階説にもあるように承認欲求自体は大切ですよね。この記事に書かれていることに同感です。
承認欲求は時に凄いパワーの源になり得ますが、欲求を満たすために他人を傷つける形で満たそうとされたりも自分を見失ったりもし得ます。承認欲求を正しく認識し上手く付き合っていくことが大切だと思います。

匿名性に関しても、匿名を失くせばいいというほど単純なものではないですよね。ただ、リアルの人間を匿名で攻撃するような昨今の事例は容認し難いです。実名を多数の匿名で攻撃、というスタンスになってしまっている現状は改善しないといけないですよね。
そういう意味では、匿名同士で好き勝手言い合って、でもお互い相手は誰かも知らず、IDが変わったら水に流すようなかつての2ちゃんねるはある意味では健全であったのかもしれない。
「他者を傷つけない範囲でSNSを楽しもう」と自分を律することも、承認欲求に支えられないと、なかなかできないことだから
→ネット右翼的な人って何欲求でやってるんだろう🤔それも承認欲求な気がしてならない。
コロナ下では、他者の承認欲求を否定しないこと、承認欲求を適切に出して行くことがむしろ必要との筆者主張。同感。人の話に耳を傾け、また自らも積極的に周囲に働きかけて行くべきと思う。

>とりわけ、コロナ感染防止のために、漫然と集まることをしなくなった社会では、ネットなどを使って自分の意志で人とつながらないと、歯止めなく孤立することができてしまう。そうした孤立への歯止めとなるのが、「私がここに生きていることを知ってほしい」という承認欲求の声である。コロナの時代の中では、私たちはむしろ自分と他者の承認欲求を否定しないこと、適切に出していくことが、生きるために必要になっている。

>私たちが生きる上で不可欠のエネルギー源として、「承認」と「承認欲求」というものは必ず働いている。むしろ適切に承認されていないと感じた人たちが怒りを込めてその不当性を叫んでいるのが、アメリカのBLM(Black Lives Matter)運動だろう。
承認は真善美とは別の軸のもう一つの価値観だから、善悪での評価はナンセンス