SNSの「承認欲求」は“悪”なのか? 適切に声を挙げていくために必要なこと
コメント
注目のコメント
誹謗中傷をめぐる議論で「匿名性は悪である」という論調も増えていますが、人間の根元的欲求である承認欲求が社会的な目から達成されづらい人に対して「匿名での発信・交流」が果たしてる役割はあるのでは?という内容と理解し、それはそれで大事な視点だと考えさせられました
結局悪いのは一部の少数の人であるという「ノイジーマイノリティ」という言葉がありますが、同じ匿名での発信をしている人も大多数は、社会的な役割や立場を捨てて平和的にコミュニケーションをとる手段になっているのもおそらく現実で、「匿名はけしからん」というのはやはり行きすぎた議論にも感じます
と、すれば匿名性を許容するプラットフォーム側が、その匿名を隠れ蓑に誹謗中傷を行うリスクには適切に対応する責任がある、と考える必要があるように感じます炎上とかバイトテロなど悪ふざけなど行き過ぎなどで誰かに多大に迷惑や損失を与えることは良くないですが、承認欲求自体を満たすことは人間として必要なこと。
「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。」 「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」
承認は大切です。愛の反対は無関心。
信頼は生まれないし、成長もしない。
また、表現の自由も大切だが、発信内容に責任を持つことも合わせて大切と思います。承認欲求は誰もが持っているものですし、承認欲求があるからこそ頑張れるメリットもあります。上手に承認欲求を使って、ガソリンにしていけばいいと思っています。メリットデメリットを考えて、自分で判断すればいいのではないでしょうか。ただ多くの人にとってデメリットとリスクが目立つと思っています。