人の話を「理解できる人」と「できない人」の差
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「相手を論破すること」を目的にするのではなく、「論点に対しての結論の質を進化させていくこと」を目的とすることはいつも心掛けています。
どうしても自分と合わない人の意見や、言い方がキツイ人の意見って、最初から聞かなかったりネガティブに捉えてしまったりしがちな人が多いと思うので、フラットな心を持って議論したいですよね。(自戒も込めて)
注目のコメント
議論は、人格を否定し合うものではない。
まずこの当たり前のことを理解して、心穏やかに臨みましょう。
そして、論点と意見を整理しながら、冷静かつロジカルに議論する。論点に関して共通認識があれば、意見は人それぞれでOK。表層的な問題の議論が誤解誤認を生む。議論の前に、論点の整理が必要である。簡単であるが、以下のキーワードに答えられるようになると、問題の本質=根源的な問題が明らかになる。そのキーワードは、"モン・ゲン・カイ"。
モン=そもそも問題なのか?なんで?誰が困っているの?
ゲン=原因は何なの?本当にそれが起因しているの?
カイ=解決できる?解決したら何が良くなるの?誰が嬉しい?
その上で、一人ひとりの知恵を掛け合わせて、問題解決に繋がる時間を楽しみたい。その時間がお互いの思考の違いを理解する時間になるし、自身の見えていなかった領域が明確になる。事象の捉え方次第で問題の受け取り方は変わるもの…。問題の本質を見極めるのに、他者の力を借りることは有意性があると思う。どう向き合うか考えたいですね。「事実」と「意見」と「推論」を区別する事から始めましょう。
私がセミナーで出す例題です。
担任の先生からの以下の指摘に論理で反論しなさい。
「君はバスケットボール部に入っているから、成績が悪い。これでは志望校に合格出来ないからバスケットボール部を辞めること」
この中で、「事実」は一つしかありません。他は、「意見」と「推論」です。
理不尽な要求は、前提を疑えば解決出来る事が多いですよ。
これまでで最高に面白かった回答は「私はバスケットボールを続けてNBAにゆくので、成績が悪い事を気にしません」
です^_^