部活を再開する前に考えたいこと。「やらない自主性」の大切さ。
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自主性。大人でも難しい。
私が心配するのは、「自主性」という言葉で選択の責任を生徒に押し付ける事態です。
生徒はまだ未熟な子どもですから、「自主性」の使い方を誤ることもあるし、「自主性」だからと言って何でもかんでもOKとはなりません。
注目のコメント
『私が心配するのは、「自主性」という言葉で選択の責任を生徒に押し付ける事態です。
生徒はまだ未熟な子どもですから、「自主性」の使い方を誤ることもあるし、「自主性」だからと言って何でもかんでもOKとはなりません。
「自主性」という美辞麗句で誤魔化さず、部活を再開するか、どんな形で再開するかについて、保護者や教員がしっかりと責任を引き受ける必要があるのです。』
逆に言えば大人は成熟しているのであるから自己の責任において出社するか否かを自分で判断すれば良い。在宅勤務か出社かということにおいて何でもかんでも会社がルールを決めるという事がおかしいと思うんだよね。教員の立場からできることは、
「部活指導力に比重を置く、組織の構造を変えること」
部活動における自主性とは、生徒の意思をベースに、以下の3点が保証されている状態だと思う。
1.部活の参加、脱退を選択できること。
2.活動内容の構成に関わり、可変であること。
3.目標や目的を設定できること。
現状は、2と3の内容や目的に生徒の意思が含まれる部活は少ないだろう。なぜなら、教員が部の在り方を規定したくなる構造があるからだ。
例えば校内では、部の実績やカースト(野球部は昔からあるから偉いみたいな雰囲気)で、教員の指導力を計ることがある。
あの教員は、インハイに何回連れて行ってるからすごい。だから、言っていることにも説得力があるなどと過剰に発言権、決定権が強まる風潮だ。
結果、この先生は承認欲求が満たされかつ、権力の集中が起きる。すると、さらに実績や地位を求め、生徒の実態を無視した運営となる。
つまり、いつの間にか生徒の想いより、先生の想いが尊重されてしまうのだ。
生徒が自主的に部活に関わるためには、暗黙の了解的な学内組織構造を見直すことが先決であり、一番の近道だと思う。当時部活をするために学校を選び、それ以外の生きがいを見出せなかった私のような生徒は本当に苦しい期間を過ごしているだろう。
感染を恐れ50%の環境、力で活動しろと言われても無理な話で、今は学習の遅れを取り戻す時期だと言われても尚更響かないだろう。
部活制度の見直しと(地域社会含めて)自主性と多様性をも少し育てていかないと苦しむ子供たちは増加するだろう。