「見守り」が高度化する介護施設 安全と尊厳と、悩む現場
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介護は介護を受ける人のためのもの。でも、人の手によるケアは今後ますます贅沢なものになり、社会の予算はどんどん逼迫していく中で、ケアの機械化は好む好まざるに関わらず不可避です。
機械化できず最後に残るのは、心を通わせ合うこと、心の平安を保つこと、愛情を伝えることです。むしろ、それさえ担保されていれば、介護の機械化に聖域はないと思います。
注目のコメント
介護現場における「テクノロジーの導入による生産性の向上」というトレンドへの無条件賛辞と、尊厳の保持という葛藤について両方の視点から書かれている記事。
いつの頃からか、何が良いケアかを測る視点が本人ではなく、提供者側と原資を払う側に移ってしまった感があります。一般的にはエンドユーザーの評価がサービスの質や売上に反映される市場メカニズムが、公費が関わる準市場では機能しにくい。
本人ニーズも要介護者からは量的には集めにくい。介護従事者は代弁機能を果たすはずがその機能も失われつつある中、本人不在は加速している。
専門職は社会ニーズに応えることも使命の一つだけれど、何が社会ニーズなのか利害関係者が多くなっている今、介護に対する社会構成員からのニーズの量的取り方が、介護現場の葛藤の解消に一役かいそうなきもする。そうした調査が求められていると思います。いま介護の現場で導入が加速している、センサーやAIを活用した「見守り」。介護する人の負担や人手不足に対応するには技術の力を借りることは必須と感じる一方で、睡眠や排尿といった自分の生理的な活動をすべて機械でモニターされる暮らしは、介護を受ける人の尊厳という視点でみたとき、それでいいのかという思いも持ちます。ただ一つの正解はないのでしょう。私は介護を経験したことがなく当事者の視点は持ち得ませんが、ぜひ当事者や介護分野の方々の受け止めを聞いてみたいです。
これは深い問いだ。
センサーで利用者の動きが把握できれば介護職員の動きは効率化される。危険察知の頻度があがり事故も防げそうだ。安全配慮義務には予見と回避の義務があるが、センサーにより予見の精度が高まるので、職員にとっては安心だ。
視点を変えて自分が利用者だった場合を考えてみると、自分の寝ているベッドにセンサーが仕込まれて動きやベッドから起きただけでも他人に察知されてしまうのはかなり嫌だ。老人ホームに入ったらプライバシーはなくなってしまうんだろうか。
介護の仕事ってなんなんだろう。
食事をのどに詰まらせないようにするのが仕事であり、それをミスれば1200万円賠償しろと判決が言っている。そんなことを言われたら、怪我しない、事故しない、なるべく死なないという方向に意識が向いてしまう。危ないことはさせない、というケアになる。
しかしその一方で、リスクをとってでもやりたいことができるようにしようという方針の事業所もある。自社はどちらかというとこっち側。
どちらがいいのか決めるのは誰だろうか?
そんなの本人以外にあり得ない。
しかし疾患や環境など様々な要因で意思表示できない場合、代弁機能が重要になる。ただそれって、現場で機能してるか?
テクノロジーの活用は、自分はどう生きたいかの意思決定と深く結びついてるように思う。