「自分の頭で考える」とは本当はどういうこと? メタ認知、バイアスがキーワード
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注目のコメント
僕は逆にいつも考えてる、というか、全然出来てないと思うけど、これとは逆に考えたいと思っている。
バイアスは自分固有のものとして大切にするべきだ。
それが他人と相容れない部分があったり、他人から見たら非合理にしか思われない部分があったりするだろうけど、
その部分こそが人間を人間たらしめるものの芯になる部分であって、これを失うと人間は統合失調症に陥ってしまったり、獣や家畜同然になってしまう。
「メタ認知」などによって、自分の抱えているバイアスを批判し、形を変えようとすることは時に必要かも知れないが、
それはバイアスを解消して無に還そうとするためにやることでは絶対あるべきでは無い。
他人から投げつけられる「一般論」や「正論」などに流されて、「自分」が消えて無くならないようにするためにやるべきことである。
いい加減で簡単な言葉に自分を重ね過ぎないようにすること、象徴化や合理化を拒み続けること、これまで過ごしてきた時間に価値を置くこと。
あなたはそう簡単に説明可能な存在ではない。
あなたの一番大事な部分はきっとそこにある。
ここで言われていることは、僕はあんまり賛成できない。
みんな物事を抽象化し過ぎずにもっと具体的に固有的に眺めるべきだし、
自分を特別な存在だと考えた方が生きている実感が持てるでしょと思うんだけど。
追記
この記事の文章の最後の方で、「具体と抽象のバランスが大事」みたいに書かれているのは分かるが、
この書かれ方では、抽象≫具体、という印象に見える。
僕は具体の重要さは抽象に先立っていると考えている。
NPの「かしこそうな」コメント群を見てても思う。
政治や経済を語る時だって、どんな一般論よりも、もっと自分の好き嫌いを中心にして語って良い、むしろそうすべきだと思う。
具体性固有性の要素がそこに欠けているから、投票率も上がらないし、イノベーションも起こらないんじゃないの?ってずーっと思ってる。
合理的で抽象的な視点というのは、自分の「偏った」考え方や願望を世の中に認めさせるときに「利用」するためにあるものであって、
主従関係でいえば、主が具体で、従が抽象であるべきである大学の講義で「メタ認知」を習ったことを思い出しました。
主観と客観を同時に見る視点を身につけたいものです。
深呼吸して自分の頭の上に、もう一人の自分を創り、冷静になって俯瞰して、『手段から目的を考える』とか、『部分から全体』を考えられるよう訓練してかねばなりませんね。
また、トヨタの「なぜ?」を5回繰り返すを思い出しました。
メモ
・自分から見る自分と他人が見る自分
・客観的と思っているが実は主観的な自分
・言っていることとやっていることのギャップ
・知っているつもりで、実は何も知らない自分
・具体と抽象
・絶対的な観点と思っているが、実は相対的
・全体的な観点と思っているが、実は部分にすぎないバイアスを逆転させるにはどうすればよいか? そのヒントが「メタ認知」にあります。メタ認知とは、ものごとを一つ上の視点から見てみる、あるいは自分の魂を幽体離脱させて「上空から」自分自身をみてみる、あるいは外側から眺めてみるという状態を意味しています。自分自身の話で言えば、自分を客観視してみるといってもよいでしょう。
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私もチームの方向性や難題に対応する際には目の前の現実・課題に対して、一個上位の観点で考えるように意識していますが、なかなか(汗)