立・国合流、党名巡り難航 新党設立方針では一致
コメント
注目のコメント
マーケティングでも認知されていないものはまず選ばれようがない。新味ある党名を目指して民進党、立憲民主党、国民民主党などと名付けてきたものの、有権者に十分認知されず浸透していないことは比例の票数や支持率の推移などから明らか。
政権交代可能な二大政党の一翼を担う存在を目指して、十数年かけて浸透させてきた「民主党」の党名は未だ認知が高く、このタイミングで復活する可能性もありそうだ。合流がいったん破談に終わったあと、結局、立憲民主党も低迷し、立憲、維新、共産が分立する状況が固定化していました。少なくとも、連合を共通の支持母体とする民主系が再結集しないことには、話は始まりません。党名も奇をてらわず、初心に立ち返って大同団結をめざすシンプルなものがよいのではないかと思います。小異を争う体質にはうんざり感もあり、国民生活の立て直しに取り組むという一点で結束していけば、おのずと価値はあがるのではないでしょうか。
立憲と国民の間は単なるわだかまり以外に、国会運営に関する対応方針の違いはやはり大きい。
よく「何でも反対」とか言う人がいるが、全てに賛成するあり方を取るのは与党だけで充分。その是々非々のあり方は立ち位置により変わり、賛否の度合いがその考え方により変わるのは寧ろ然るべきところ。協力しなければならないと判断した所はどの政党でも協力はする。
忘れてほしくないのは、岩盤の与党支持者が野党のあり方を偏見持って話しても、残念ながらポジショントークでしかないこと。それで野党が崩れた方が与党は政権運営をしやすい訳だし、彼等が野党支持者になることは基本的にない。
ただ、相対的な立ち位置からした際、立憲の立ち位置はまだあるが、国民の立ち位置は存在感を出し難い立ち位置であることは否めない。
この周囲の立ち位置で考えると、基本的に今の政権与党のあり方を良しとはしない場合は立憲に流れるし、是々非々の是の比率がそこそこあることを大事にするなら、維新などに流れる。
これは維新のこれまでの政党の運営の仕方から立ち位置を確保してきたものであり、国民はその政党設立の前段階、つまり希望の党へかつて合流を図った前原氏の判断の段階でこの部分は考える必要があった点である。
この段階では(今では考えられないことだが)当時の希望の党と維新とには連携の可能性があった。ここで是々非々を大事にして将来的な連携を視野にセレクションをかけることなどはすべきであったし、それをしないなら(かつてのみんなの党のように)別の軸での立ち位置を図る必要があった。
単なる合流だけという形が妥当性を持たないことは、前原氏が示したこと。
ならばどうするべきかは、玉木代表の腕の見せ所。