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盗めるアート展 開始前に殺到
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自分の作品が誰のコレクションになったのかも大切にされているのかも分からないっていう。
美術館も入場制限かけたりしてるし、知り合いのアーティストさんもギャラリーさんもオペレーションが大変でも予約制にしてオープニングレセプションも中止にして、アーティストデュオさんは工房を入れ替わりで使ったりと、過剰にコロナを意識してます。それって何かあったときに何も言い訳できないし、アーティストとしての思想の浅さを疑われるからだと思います。
深夜24時にオープンとかもちょっとどうかしてる。
事前予約制にする、絶対に盗めない作品を置く、納戸でも何人でも窃めるデジタル作品を置く、オンラインから閲覧できる仕組みを作っておくなど、やりようは色々とあった。
企画自体が面白かっただけに、こんなイマジネーションの欠如した運営にデリバリされたことが残念です。
「アート」と「美術」は違います。「美」の術と書く美術に対して、「アート」とは世の中の常識や価値観に対して問いや話題性、自己を振り返るきっかけを投げかける対象や概念に価値が生まれます。つまり、「美しい」のか、「正しい」のか、そもそもSNSで意見が分かれて「炎上」するということは、究極に現代アート的なわけです。その点、「盗まれた」作品の多くが即メルカリに出品され、しかもそれは美術界の人間ではなく、「市場」で売れるだろう価格で一般大衆が価格を決めて出品している点も興味深いです。
つまり、CtoCプラットフォームの国民的インフラとしての価値が見えた点と、転売可能であるが故に「盗もう=原価タダ」という貧しい(これも個人の価値基準)人々の多さが露呈した展示だったと言えるのでしょうか。
これがこの企画の意図だったようですね。
ぜひ、「盗まれる」ことを前提に、アーティストがどのような作品を展示したのか知りたいです。経済的価値がつかないもの、盗んだ人以外の目に一生触れないかもしれない波及性のないものに対して、アーティストがどのような表現を選んだのか。
また、鑑賞者と作品の関係性、ということで言えば、もし本当にほとんどの「怪盗」が売却目的で絵を盗んでいったならば、それはもはや「鑑賞者」にすらならなかったと言えそうです。
主催者さんはこの結果をどのように解釈されているのでしょう?せっかくなので、謝罪されるだけではなく、そのあたりをお聞きしてみたいところです。
結果は、開始前に押入られ、すぐに転売されるということになり、アート知らない人たちの集団が控えていると、それはそうなるか…という一番面白味のない結果に。
これを受け、アート好き友達たちとメッセージで話していますが、「アート好きじゃない人たちが入ってきた途端に面白くなくなる」と思ってしまった私がいて、「アートは一部の理解している人たちだけのものなのか」という問いと直面しています。
これは問いの一つですが、似たように問いが次々と出てきていて、やはりアート好きの間ではひとしきりこの議論を楽しむことになりそうです。
そういう意味では、問いを与えた展覧会として一つの成果を挙げていますが、「アート好き」の人たちの間でしかそれが起きていない雰囲気なので、やはりアートはアート好きのものなんだ、、、と禅問答を繰り返すところにいます。
面白いですよ、アート。ぜひ。
どんなコンセプトか知らんが、作品に対する愛が感じられない
どこがクリエイティブなのか、センスのない私には理解困難です。
自分の作品の制作に人生をかけているアーティストの方々は、この記事を、どう読まれるのでしょうか?
企画実行する方々も、そこに行ってアートを手に入れてメルカリで転売する方々も、私には全く理解できません。
もしかしたらアートを語る資格もセンスもないからかもしれません。
しかし、近隣の住民の方に迷惑をかける...米国なら訴訟されそうです。
自由にやってよいというのは、他人に迷惑をかけない範囲ですから。
あくまで個人的な意見です。
※個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません
メルカリだとカテゴリー的にオファーできず、競りにならないのが残念ですが。。
アートの価値の新しい広がりを社会に知らしめるという意味では、思考した展示会だったのかなと考えています。