日本、国際機関で存在感低下 国家安保局主導で人材育成
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国際機関にも色々とありますが、アジア開発銀行と多数国間投資保証機関は日本人がトップです。
国際機関では途上国が関係する業務も多く、まずは英語やフランス語やスペイン語がネイティブでない時点でかなりのハンデです。それに加えて世界各国から集まる職員の意見を取り纏めつつ経営方針を打ち出していくには至難の技なので相当な経験が必要だと思います。
トップの人はいわゆる職人気質の専門家よりも多国籍企業の経営者の方が向いていると思いますが、僕の目から見てもそういった人材は日本にもいますが人材プールのマーケットが欧米亜の様に流動的ではない点も理由だと感じています。
一番大事な資質は世の中を良くしてやろうというハートだと思いますが新興国に比べると戦争もせず飢餓などのない恵まれた国に育つと(勿論全員ではないですが)この動機を得るのも容易ではないのでそういう部分も教育に反映させていく必要があると思います。人材育成の観点から問題意識が示されているようですが、大学で修士や博士を取り、英語を話せるような人材になっても国際機関に入れれば良いですが、そうでなくなった時に日本社会では大してリスペクトして貰えないので志す人にとってはハードルが非常に高いという現状があると思います。
国際機関採用はジョブ型の典型だと思いますが、これを受け入れる器が今の日本社会にはないのはご案内の通りです。日本人が国際機関の要職を占めていたのは、1990年代がピークだったでしょうか。明石康氏が国連事務次長として、カンボジアとユーゴスラビアで平和維持活動を指揮しました。緒方貞子氏が国連高等弁務官としてアフガニスタンやアフリカなどで活躍したのも90年代です。また、松浦晃一郎氏がユネスコの事務局長を務めていたのも90年代です。
90年代というのは、日本が「世界第2位の経済大国である」ということを主な根拠に、日本は国連安全保障理事会の常任理事国になるべきである、という主張をしていた時代です。この主張は現在ではすっかり影を潜めたように見えますが、当時はこれが日本政府の主要な外交目標であり、そのために相当な外交工作をしました。平和維持活動をはじめ、日本が国際機関の活動で指導的な役割を果たせる、ということも示そうとしました。
根本的には、日本政府の外交からこの目標が消えうせ、国際機関での工作への意欲もリソースも減退したというのが背景でしょう。2009年には天野之弥氏が国際原子力機関の事務局長に選出されていますが、その後は、目ぼしい例がありません。
ちなみに、緒方氏の後任の国連高等弁務官はオランダの元首相、今のユネスコの事務局長は、フランスの前文化大臣です。明石氏も天野氏も松浦氏も外務官僚で、緒方氏は大学教員でした。日本は、国際機関の選挙工作で、各国に対して、他国が出した前首相や前閣僚といった対抗馬よりも、日本の外務官僚を選んでくれるように工作する必要があります。
本来、日本政府の元閣僚に、英語で専門的な幹部レベルの業務を行ってきた経験のある人物が豊富にストックされていなければ、国際機関への立候補も難しいです。