父親の葬儀で知った「人は何のために働くのか」
東洋経済オンライン
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自分も31のときに父を亡くしていますが、「何のために働くのか」というような思いを50代前半で亡くなった父には感じませんでした。お通夜、告別式に人はいっぱい来てたけど。
なんらかの出来事に対して、どういう思いを持つか、というのは、自分自身がフォーカスしていることになるんじゃないかと思いました。「亡くなったときにこそ、人は評価される」とあるけど、そんな評価を亡くなった本人は持っていくこともできないわけで、残された身寄りのものがどう感じるかの材料になるんだろうなあ、と思います。
年を経て、父が亡くなった年齢にあと5年あまり、と近づいているわけで、自分の子供にどんなことを残せるのか、考えていかない時期になっているのかもしれません。その人の評価は個人それぞれの考えがありますが誰しも功罪があります。そのうえで身近な人の死でいろいろと教えられることがありますが亡くなった方が生前にどう言う方だったのかわかるのは棺を運び出す時に大勢の人が棺に手を添えるかどうかだと言ってました。
誰しも自分さえ良ければいいという想いを持った事はあるだろう。
それでも、人生とは…何の為に働くのか…何の為に生きているのか…なんて事は身近な誰かがこのリアルの世から居なくなったとき心の底から考え、色んなことに気づく。
死んでも感謝される人は素晴らしい生き方をしたんだなと感じます。死んでも感謝されるような人間であり、そんな生き方をしていきたいなと思います。