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「ひとを傷つける表現の自由はない」ので 自由な市民によって日本でも「リベラルな監視社会」が実現していく 【橘玲の日々刻々】 - 橘玲の日々刻々

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コメント


注目のコメント

  • 単に道徳や倫理が消失するにつれて規則が増えてきたのでは。

    追記
    監視は昔からあるもので、人間同士が行っていた相互監視が機械に変わっただけな気がします。そう考えると、善し悪しは別にして現代人は人より機械を重視する傾向があるのかもしれません。


  • 路傍の石

    自由というのは不自由との境界に囲まれているもの。
    その不自由との対峙こそが人生。

    自由は無色透明で掴み所がない。
    (なんでもできると言われても何をしていいかわからない。)
    形ある不自由を見ることではじめて内なる自由を意識することができる。

    人は不自由を克服しようと何かを創造する度に新しい不自由を見つける。そしてそれまで享受していた自由への満足を忘れる。

    元々自由が当然に無限にあると思うことが過ちの始まりだ。
    自分が期待する自由が何に支えられ、そして誰の自由を侵すのか、それは表現の自由に限った話ではない。

    尊大な自意識を小さくすれば、自己を規定する自由の不自由との境界を小さくすれば、肩の力が抜けて楽になる。


  • 他者を傷つける時は鈍感で、自身が傷つけられる時は敏感になれる。そんなので良いはずがないんだけど…。人は弱くなってるのかな。


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