なぜインターネットと「理性的」に付き合えないのか。専門家が語るSNSの構造的問題点
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コミュニケーションコストをどう適正にして、SNSなどの内容の偏りを抑えつつ、適正なアクセス状況を実現していくかということではないのでしょうか?
使う側の配慮もあるとは思いますが。私は内部統制を生業にしている身ですが、その経験から言うと『規制・ルールは、正しく動けない人がいるから作る必要がある』んです。
みんながみんな、正しく動けるなら規制・ルールは必要ありませんから。
なので、規制・ルールとは『正しく動けない人向け』に作られます。そうなると、元から正しく動けている人からすると凄く窮屈で、自由を阻害される規制品ルール内容になります。
てすので、私は規制・ルールは作らなくて済むなら作らない方が良いと思う派です。
正しく動けない極一部の人のために大多数の動けている人が迷惑を被るのはオカシイですからね。
規制・ルールを作るべき場合とは、その『正しく動けない一部の人たちの迷惑行動による損失・弊害が、正しく動ける人たちを抑制する損失・弊害よりも大きいと思える場合』だと思います。
インターネット、特に現在ではSNSによる弊害がとても大きくなっているので、ある程度の規制・ルールは止む無しでしょう。
ただ、SNS上の誹謗中傷が人をひどく傷つける一方で、SNS上の応援で救われる人もいるんだと思います。
だから全てを規制することは出来ないし、すべきでも無いと思います。
私としては、有名人が実名でやると弊害の方が大きいので、いっそのことSNS上では有名人も一般の人も実名アウト(匿名のみ認める)と割り切ってしまった方が良いのでは、と思います。
実名で不特定大多数とやりあえるほど、まだ人類一人一人は強くない。
実名でやるのはblogにして、コメント機能を付けなければ良い。エゴサーチするかどうかは、それは各自の責任の範囲で。私、ツイッターを使っていません。
そしてFBのシェア記事を読むこともほとんどないので、炎上というのをリアルタイムで経験したことがあるのは、NPくらいかもしれません(笑)
ということで、今一つピンとこない点がありましたが、ネットで情報を取る時は、同じサイトを継続して読んで、そのサイトがどれくらい信用出来るか?を自分なりに判断する必要があると最近痛感します。
コロナ禍で疲れたのは、自粛疲れだけではなく、過剰情報にも疲れた人が多いのではないでしょうか?
私もその一人です。ネットの使い方を、少し変えようと思っていたタイミングだったので、参考になりました。