大学時代、奴隷貿易で栄えた、アフリカのセネガルで1ヶ月ほど過ごしました。そこにはÎle de Gorée (ゴレ島)と呼ばれる、奴隷たちを船につみこむ基地があり、いまでも「帰らざる扉」という遺跡がのこっています。そのドアを通って海に「荷積み」された黒人は、二度と祖国をふむことがない、ということに由来しています。その景色を思い出しました。
Black Lives Matter運動を報道する日本の主要報道は、いずれも左右のバランスを測りかね、ポジションを取り倦ねているように見えます。 ・「普通の」一市民として暮らす中では、(先進国アメリカにおいて)公民権法後も姿を変え形を変え蘇り続けてきたマイノリティ迫害の事実に対して、リアリティを感じにくくなります ・アメリカを発展途上国に置き換えれば火を見るよりも明らかな差別・迫害が、何故かアメリカの場合リアリティ無く見えてしまい、それに触れること自体がバランスを欠く報道ではないか、という錯覚に陥ってしまうようなのです
今更改めてキング牧師のスピーチを聴いて涙が出てくる。
生まれた時点で、肌の色や人種でスタートラインが違う。
そんなことは許されない、少なくとも先進国ではそんなのは当たり前の共通認識だと思ってきたが、現実はまだまだ程遠い。
アメリカでは履歴書に顔写真を掲載しないなど、様々な取り組みはされているがGAFAなどの大手企業の黒人従業員比率をみても依然として差は残ったまま。
ただ、自分は差別をしていないと信じていることこそが最も危険だし人を傷つけかねないのかも。
今まで数多くの国、人種、宗教、性別、年齢の方と出会ってきたが、自分も出会った瞬間に他人をラベリングしてしまっていないか。
それによって無意識のうちに優劣、好き嫌い、偏見も持ってしまっていないか。
そう自分に問い続け、自分の中にもきっとあるマインドブロックを壊し続けなければいけない。
そう考えると、今回の白人警察官による、黒人暴行死の違った側面が見えてくると思います。実際に、アメリカ南部での警察の始まりは奴隷制度と密接な関係にあるという文献は、最近も何度も取り上げられています。
もう一つ、記事内にある「1619」という数字も重要です。
今、New York Timesのポッドキャスト作品「1619(https://www.nytimes.com/column/1619-project)」というのが、この黒人差別の起源を知るための必須作品の一つで、教育現場でも広がっており、うちの5歳児のESL教材にもなりました。
いずれにせよ、今世界に広がるBlack Lives Matterは、突発的な問題ではく、深く根深い歴史とともにあるということが、これを見れば、おわかりいただければわかるのではないでしょうか。
黒人は奴隷ではなくなりました。アファーマティブ・アクションで大学に入れるようになり、公務員にもなれるようになりました。ちなみに、事件が最初に起きたミネソタ州ミネアポリス市では、黒人の人口は19%、警察官の中の黒人の割合は9%です。
現在の黒人問題は、南部の奴隷制の問題ではありません。ミネアポリス市のあるミネソタ州は中西部で、カナダと国境を接しています。今、抗議行動や暴動で最も死者が出ているのは、この中西部です。ワシントンDCやロスアンジェルスでも大規模なデモが起きていますが、こちらはリベラル派の大同団結を示す行動で、衝突にはなっていません。
南北戦争後に起きたのは、黒人な大規模な北部への移住でした。米国の製造業の中心となったイリノイ州やミネソタ州、ミシガン州には労働力の需要があり、黒人は南部の綿花畑ではなく、北西部の製造業で働くようになりました。
1960年代の公民権運動で争われたのは、当初は南部に残っていた差別制度の撤廃でしたが、やがて、北部に移り住んだ黒人の社会経済的な地位の向上、特に「ゲットー」と呼ばれる貧困地区の改善が求められるようになりました。
公民権運動で、黒人の地位は向上したはずでした。しかし、学校に行けるようになった、といっても、黒人の居住区と白人の居住区がそれまで以上にくっきりと分かれるようになり、子供たちが行く学校も、学校の予算も、黒人と白人で明確に異なるようになりました。実質的に黒人向けの大学が多数つくられ、ハーバードやスタンフォードの黒人学生は数%にとどまりました。オバマ氏は(母親が白人の研究者で)例外中の例外です。
公民権運動後、ベトナム人難民をはじめ、アジア人とヒスパニックの人口が急増しました。特にアジア人の学校成績はめざましく、30年ほどの内に、大学でも経済界でも非常な地位向上を果たしました。
黒人、特に中西部の黒人の収入源だった製造業は衰退し、抜け出せなかった黒人と白人が中西部の街に取り残されました。その取り残された立場が閉塞感となりました。
知り合いでもない人の死に対してなぜあそこまで熱くなれるのかよくわからないという人もいるかも知れません。
その背景には400年に渡って、黒人が不公正と不正義にさらされ、現在も社会の隅に追いやられているという事実があります。この記事では、そうした長い人種差別の歴史を奴隷制、リンカーンの奴隷解放、公民権運動、オバマ大統領の登場といった「転換点」から、完全図解でお届けします。
ちなみに、大阪でも差別反対を訴えるデモがあったそうで、ネットの反応を見ていると「日本は差別される側で、する側ではない」といったメンションも目の当たりにします。差別の記事を書いている私もハーフ(ダブル)なので、小さい頃などはよく「外人」と言われました。深刻ではないにしろ、心にグサッときたのはなんとなーく覚えてます。
この記事で取り上げているのはアメリカだけですが、読んでいただければ、差別というものがいかに人類の歴史に根付いてしまっているかがお分かりいただけるかと思います。自分事としてお考えいただけると嬉しいです。ぜひご一読ください!
NHKのこの動画が象徴例です。東大准教授の山本浩司さんが、歴史家の立場から抗議のコメントをつけていますが、それは当然だと思います。
https://twitter.com/nhk_sekaima/status/1269558019316056064?s=21
https://twitter.com/koji_hist/status/1269976421130072064?s=21
過去の事件名を、故人の名前で書いているのも共感します。すばらしいまとめだと思いました。
背景として知っておかねばならないと思いますし、短時間で概観でき、かつ、よくわかるのが良いですよね。
大きなうねりとしてこうした運動が発生するのは、単にその時の感情に根ざしているのではなく、その感情自体が歴史的な文脈に根ざしたものである、ということなのだと思います。
今回とは関係ない現象であるものの、構図としては、日本や他の地域における差別やいじめの問題とも地続きの問題のようにも思います。対岸の火事ではないのだと感じています。大事なことは、他者の痛みへの共感と同時に、他者を通して自らを省みることにあると思うのです。
一方、トランプ政権がどのような人たちのどのような共感や支持を得て、黒人初の大統領であったオバマのあとに誕生したのか、ということをさらに掘り下げていただくと、今回の問題において、対立が深まっていくことの構図がわかるような気がしています。
私は政治学は素人で報道からの断片的なものとアメリカ在住の友人たちの声からしかわかりませんが、私にはある意味でトランプ政権の誕生は、オバマ政権の「対話の失敗」の帰結でもあるように思え、それもまた歴史に根ざした困難さによるものだと思うのです。トランプ政権を反知性的だ、差別的だと言っているだけでは、現に彼を支持する人たちがたくさんいるという現実を前に何も良くならないと思うのです。
平等という当たり前の正しさというものと、歴史的文脈に根ざした困難な状況との対峠の只中で、一体どのような対話の道が選択可能なのかということ、このことは、アメリカに限らず、現在の人間社会が突きつけられている大きな困難な課題であると感じています。
シンガポールはアフリカ系の人は確かに少ないがインド、マレー、中国、フィリピン系と見た目も平均所得も職業も米国と負けず劣らずくっきり異なるのに米欧のようにはならない。これは香港やその他多くの東南アジア諸国の都心でも同様である。
この事についても一方で学ぶことでヒントはあるのではなかろうか。
人種問題とは視点が変わりますが、「ヒルビリーエレジー」で描かれたラストベルトの世界も衝撃的だった。アメリカと一口に言っても、どこから見るかで見え方は大きく変わる。
まずは、正しい知識を得ること。それがなければ、差別や偏見が増幅されていくだけ。ときに、正そうな装いで、もっとらしい言説が流布することがあり、その危険さにも気が付く必要がある。日本での出自についての差別問題では、結構、このケースがあるように感じています。
アメリカで起きていることを理解しようとする上で素晴らしい取組みだと思います。一方で、だからこそ、後続編ではもう一歩踏み込んで生々しい現実にも触れていただけたら、と思います。
Black Lives Matter運動を報道する日本の主要報道は、いずれも左右のバランスを測りかね、ポジションを取り倦ねているように見えます。
・「普通の」一市民として暮らす中では、(先進国アメリカにおいて)公民権法後も姿を変え形を変え蘇り続けてきたマイノリティ迫害の事実に対して、リアリティを感じにくくなります
・アメリカを発展途上国に置き換えれば火を見るよりも明らかな差別・迫害が、何故かアメリカの場合リアリティ無く見えてしまい、それに触れること自体がバランスを欠く報道ではないか、という錯覚に陥ってしまうようなのです
アフリカンアメリカンが公民権法以降もずっと直面してきたのは、富の不均衡の話だけではありません。それは、
・公民権法前のあからさまな差別は困難となったものの、差別・迫害は「合法的」な手段や法運用の方法にすり替わり継続しました
・歪な警察保護: 警察官は、強大な労働組合と「警察の不正は警察が調査する」という歪な制度の下、何をしても罪を被らず守られてきました。これが、警察による暴行が止まらない理由です
・「法と秩序」: ニクソン以降の大統領が選挙キャンペーンで共和・民主問わず繰り返し掲げてきた「法と秩序」政策(軽犯罪含む厳罰化、警察官の武装化など)は、公民権運動に反感を持つ白人層の票を獲得するための有効な手段として始まり、黒人をターゲットとする運用がなされてきました
・結果として、一家の働き手が突然逮捕され、裁判も受けられず(無裁判率は97%)、何年も投獄され、出獄後も逮捕歴のため仕事に就けないという貧困の連鎖が続いています
差別・迫害の構造がいかに姿形を変えて蘇り続けてきたかについては、Netflixドキュメンタリー「13th」がおすすめです。下記は日本語版ですが、英語字幕版はYouTubeに無料公開されています
https://www.netflix.com/jp/title/80091741