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介護している方々、家族、医療者、皆が利用者・患者さんの幸せを願っているのだと思います。

本人の思うまま、それができるようにしていきたい、とは皆が思っていると思います。

ただ本人にだって自分の最大の幸せがわからないこともありますし、周囲がどれだけその人の幸福を願っても、そこにズレがあることもあります。
自分の中で葛藤が全くないわけではないですよね?さっきすごく食べたかったスイーツを食べて、その次の瞬間ダイエットのことを考えて後悔することもありませんか?

各事例に正解も不正解もありません。

極論過ぎますが、もし夜中にラーメンを食べさせてノドを詰まらせて、本人の希望だからね、と言ってそのまま看取っている動画だったとしても、受け入れられるのでしょうか。。。
(個人的には非常にショッキングですし、もちろん倫理的に動画を表に出すべきではありませんが。全く負の感情を持たずに受け入れられるだけの器は少なくとも私にはありません。)



もし誰かが亡くなった時に、そこに全く負の感情が生じない方はいないのではないでしょうか。悲しみ、悔しさ、寂しさ、もちろん良い最後を迎えられたという気持ちもあるでしょうけれど。

決して「こうあるべき」と簡単に言えるものではないということだけは確かで、いずれにせよこういったことをキッカケに議論し、考えていけることはポジティブに感じます。



追記
なお、これを受け入れるには本人・家族・医療者・介護者・社会がそれを受け入れる必要があるように感じます。
私も同じような非難と批判を受け、対話を経験したことがあります。
論点は愚行権と安全の狭間であり、答えはなく、当事者同士の合意形成により進めることが最適解です。
むしろ私の関心は、ではどうしてこのような炎上が起きるのか?構造への私見を。
2000年の介護保険制度開始以前は前提として介護は、身寄りがいない、貧しい、”可哀想な”一部の老人に対する福祉という位置付けでした。介護保険制度になり、要介護高齢者は介護サービスを利用する権利主体としての立場になりました。
制度開始以前からぐるんとびーさんのようなケアは行われていましたが、極々少数でした。介護保険で民活導入が進み、良い介護が多くの実践者、企業により探求されました。この動きはおおよそ2010年ほどまで続きました。ただ、とても良い介護〜最悪の虐待介護までが混在しており、それは現在まで続いています。特に、政府が介護離職ゼロという方針を掲げてから、介護事業者は本人の尊厳と家族支援の間で葛藤することとなります。
その背景として、人材不足、介護労働者の処遇の問題、増大する介護ニーズに対応するために介護職を量産しなくてはならないという業界のジレンマがあったからです。現在はこれらの課題に対応する方針がトレンドです。ロボットやICTの活用、外国人介護職もそれらへの対策です。
一方、介護人材は十分な教育を受けられずにリーダー等になる方も多く、教育=ぐるんとびーさんのようなケア(理念と表現には見えない多職種による根拠に基づくケアと、関係者の合意形成)を学ぶ機会が少ない人の方が多いでしょう。
こうした歪みがこのような”炎上”に発展します。対話により乗り越えられるものもありますが、良いケアに進めない段階の事業所、介護職の方がマジョリティだと思います。
また、本人の尊厳と表現と発信という論点もあります。私もこの点で叩かれた経験があります。
何れにせよ、理想的な目指すべき介護は発信される価値があります。それを受け止める側が、どのように自事業所でそれを実現するか。目の前の人の支援を考えられるか、そのための国や業界内外の環境整備が2040年問題に向けて喫緊の課題なのです。
健介は遠慮して「病院は間違っていると言っているのではなく、病院と在宅は役割が違うということなんです」と言ってますが、本来は病院の医師にもこの視点が最重要なのです。医師法第一条には「医師は、(中略)もって国民の健康な生活を確保するものとする。」と書いてあるんだから。食べたいラーメンを我慢させることがその人の健康な生活ですか?
考えさせられる記事でした。もし自分がおばあちゃんになって同じ立場だったら.....