日本社会では成果よりも「みんなと一緒に」という美徳が信頼の源泉になっている。
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この美徳はアフターコロナとしてどう変化するか気になります。特に職場での環境変化が主に見られそうです。企業もリモートツールを用いた形式にシフトチェンジすることも増えてくるでしょう。その時に、メンバーシップ型よりもジョブ型の方がマッチングとしては適しています。日本の「みんなと一緒に」が少しづつではありますが、変化していくべきだと思います。
注目のコメント
農村来ればわかりますが、農作業は共同で大量に人員投入することにより効果を最大化できます。
よく農業は1人でできる的なことを言われますが、それはあくまで末端作業レベルの話で大きな集合体としては集中集団運用しないと効率が上がりません。
人間はそうやって食糧を獲得してきたし、繁栄してきたんで集団の中の個というのをもう少し考えないといけないと思います。
まあ、ゴールポストの話しは経験上非常によくわかりますが(笑) 記事にも書かれているようにやってる感を出すのは人間社会の処世術として米作民の心として本能的にもっているものじゃないかと思います 。
それを否定するより、上手に活用した方が発展できそうな気がしてます。「みんなで一緒に」は悪くない。
問題は、一人ひとりが自発性を失い受け身になり、依存体質になってしまうこと。さらに、思考停止になってしまうこと。
みんなで一緒というのは、単一民族国家である日本という村社会で生きるために身についたもの。
一人ひとりが価値を生み出し、みんなでさらに大きな力を発揮できるようになるのが望ましいですね。意味がなくても、仕事をしている振りをしていないといけない空気の職場で、サッサと仕事を終わらせて、堂々と暇にしてました。
空気が読めないとか、サボっているとか、散々言われて嫌われました。
しかし辞めた後に、その職場は潰れました。
生産性のない仕事を、一生懸命していることを推奨していれば、そうなりますよね。
これは日本企業全般にあることで、だから労働生産性が低いんです。
今の会社は、リクルート出身の役員が、非効率な働き方が大嫌いです。
そのため、僕のような合理主義者が働いていても浮きません。