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まるで預言者(プロフェット)のように、新しい時代のうねりをいち早く紹介するNewsPicksのインタビュー集。本質を見抜く視点を毎週つむいでゆくことで、ちょっと先の未来を覗こう。
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以下引用
”「興味のタネ」から縦横無尽に「探究の根」を伸ばし、一見、何の脈絡もない発見や気づきを養分として取り入れていく。それがひとつにつながることで、唯一無二の「表現の花」が咲く”
教養のことをliveral artsと英語では言いますが、なぜこれが必要かは最低限の教養がないと世の中の問題に対して自分なりの思考し、答えを出すことができないからだと思います。
思考することに対してliveral (自由)になることができる。それが教養で、それがあるから思考してロジカルに解に導ける。したがってなんとなく左脳が自由に開放されている感じがします。
アートも教養に含まれると思いますので完全に対立した概念にはなりませんが、この記事で触れている「なんとも言えない色」などというのは、表現を試みることで右脳が新たに解放されています。新しい絵や、技法・表現方法に出会った瞬間、人はロジカルにそれを体に取り入れないと思いますが、完全にでなくとも少し模倣はできるようになりそれもまた右脳が解放されているような気がします。
そのようにアートに接することは自分の右脳が解放されていく感じが好きです。
(ちょっと理解しづらい記載になっていると思いますが、それは私の左脳の解放具合が弱いからです)
どんな経緯であれ、興味と探求がなければアウトプットとしての表ケマンも難しいと思います。