「Yahoo!ニュース」、1日約2万件の誹謗中傷コメントを削除--検知AIを外部提供へ
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“誹謗中傷”という言葉の定義を、AIがどのように行なっていくのかとても気になります。
どこまで言えば誹謗中傷と呼ばれるのか、全員の線引きができないため何でも書き込むことができるのかネットかなと
人を言葉をナイフとして使うことには賛成できません。
ただこれ期にボーダーラインが明らかになるのかと考えると
コメントの質にもかなり変化が生まれると思います
注目のコメント
興味深い取り組みです。ただ、どちらかといえば悲観的です。ヤフコメのあり方を根本的に変える必要があると感じます。
プレジデントオンラインにもコメント欄があります。いま見直しに向けて議論をはじめたところです。コメント欄をつけたのは「読者の声を知りたい」という素朴な発想でした。メールでの問い合わせはハードルが高い。もっと気軽に書いてほしいと思ったのです。
ただ、残念ながら、コメント欄に寄せられる声の多くが、偏った罵詈雑言です。特にコメント数が伸びるのは、政治ネタについて「ネトウヨ」「パヨク」などと互いに罵り合うものです。記事作りの参考になるような理性的な書き込みもあるのですが、それはごく一部です。
なぜそうなってしまうのか。それはネットには「アテンションの奪い合いになる」という特性があるからです。放っておくと、必ずそうなってしまう。過激で極端なことを書いたほうが反響が大きいので、記事の中身も読まずにそういうことを書き連ねる。これについて哲学者の東浩紀さんは、インタビューに応える形で「現実よりもデジタル世界のほうが息苦しい」と論じています。
https://wired.jp/series/away-from-animals-and-machines/chapter11-1/
解決のひとつの方法は、どれだけ反発されても、デジタルでリアルのやり方を踏襲することではないかと考えています。たとえば紙の雑誌と違って、ウェブメディアは簡単に修正ができます。ただ、だからといって間違いだらけのものを配信していれば信用がなくなります。そういう面倒くさいことが大事なのではないかと思うのです。
NPでは「プロピッカー」のコメントが優先表示されます。デジタル的には「いいね」の多い投稿を優先表示するべきで、プロピッカーが優先されるのはおかしい。でも「おかしい」からこそ、この仕組みを続けたほうがいいのではないかと思います。だれを優先するかにNPの考え方が反映され、ある種の秩序を生むからです。
ヤフコメのケースでは、デジタルをデジタルで解決しようとすれば、アテンションの奪い合いから逃れられないと思います。私自身がプロピッカーなので手前味噌ですが、過激で極端なことではなく、理性的で参考になるコメントを続けたいと思います。サイトのコメント欄はメインユーザーがどんな層を把握するのかを理解する上での最適なリトマス試験紙です。コメント欄の「治安」の良し悪しに、特徴は明快に表れますね。
またそうした治安悪化に、運営者がどのように対処しているかを通して、メディアの性質を窺い知ることもできます。
コミュニティに特定の色がつくのは避けられないことですが、群衆の善意に頼りきって放任していると、場が荒れ果ててしまいます。運営による介入は、往々にして強い反発を招くものですが、やはり適宜手入れし、意思を持った選別が必要なのだと感じます。Yahooのコメントはいつも炎上しているイメージがあるので
AIで判断していくのはとてもよい試みだと思います!
どんどんトライしていって改善してほしいな。
やさしいインターネット作りをしていきたい、、、