コロナ時代には「紙とハンコ」の文化はヒトの命をおびやかす
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注目のコメント
紙は同意、ハンコは本質ではないと思います。
問題はアナログ原本主義です。そしてそれは各国の法律によります。それがある以上はハンコもサインも変わりません。多国籍で投資業務をしていますがアナログ原本主義の国でシリーズCくらいともなってくると投資家が何十社おり、物理的に紙を200枚以上印刷して腱鞘炎になりそうになりながらサインして、それをFedexで送る、などという気の遠くなる作業をするなる羽目になります。
それがデジタルOKのアメリカやシンガポールでは、HelosignかDocusignで一分で完了します。
役所関係では、シンガポールに家族と住み、会社を経営していてサインを求められる局面は数年に1回だけビザの更新のみです。例えば会社登記も変更も謄本を買う事もオンラインでできます。意思を持って押す、というのがハンコ文化のいいところ。覚悟が決まりますからね。でも『人間がやらなくてもいい単純作業をなくす』目的で『契約書に押印するロボットを開発』されるようではそれすら意味がない。
競争も倒産もないお役所は世の中が変わっても変わる必要がありません。そのお役所が事前規制でこまごまと民間を縛るのが我が日本。事後規制なら民間主導で世の中が変わって行くけれど、事前規制でお役所にお伺いを要すると、変わらぬお役所を前に民間は変われません。『最終的には役所が立ちはだかる。いくら民間が改革をしようとしても、紙とハンコに守られた役所の壁を越えることはできない』という事態になって行く。
『日本の政府は、なぜ新しい技術に全く無関心なのだろう?』の結びに至るまで、皮肉の効いた面白い文章でした (^^)v
それにしても何故こんなことになったのか。日本の未来を考えると暗澹たる気持ちになって来る (*_*)野口先生といえば、ひと月前ほどにツイートされた悪魔の計算が印象に残ってます。
具体的には、コロナで高齢者が死亡すると年金給付や医療費、病院での待ち時間などが減ることで財政再建に寄与し、労働生産性も上がるので、遊びに繰り出そうという趣旨のものです。
まあ賛否両論あるかと思いますが。