「嫌ならやらんでいい」本田圭佑が学校の宿題は不必要と持論! 賛否両論のツイートに武藤嘉紀は危機感を表明
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「嫌ならやらんでいい」は出来る人本田圭佑のような人や、それを目指す人には正解です。
ただ、出来ない人、それを目指していない人には正解ではありません。
世の中全員が志高く、成功に貪欲な人ではありません。
成功より失敗をしたくない人や平穏に生きたい人もいます。
中には嫌な事からに逃げて自立できず頼る事でしか生きられない人もいます。
みんな本田圭佑ではないのです。
色々な生き方や多様な人生観が存在するのです。
このツィートを添削するなら
俺みたいになりたい奴、俺の生き方に同調する奴は
「嫌ならやらんでいい」
注目のコメント
そもそも宿題は何のためにあるんですかね?
授業の中で理解している子供に対しても『みんなと同じ内容』を宿題としてやらせる。それって子供にとって『ハッピーな事』?
『嫌ならやらなくてもいい』
『けど、やらなかった場合、XXXなことになるよ、やるとYYYになるよ、自分で判断しよう』でいいのでは?
この不確実性の高い社会で生き抜く大人に育てるのに必要なのは、『自分の頭で考えて選択することができる能力』かと。アスリートは自分が辿り、歩んできた道を時に否定しがちです。または肯定しがちです。
嫌なことはやらなくてもいい。
嫌なこともやらなきゃいけない。
人生はいつだって、それが順番に訪れます。
知りうる限り、多くのアスリートもそういう人生の中で、素晴らしい「一人の人間」となった。
ちょっと話はそれますが、教育でいうと「オンライン教育」に注目が集まりますが、それって教育で括られると困ったことが多くて、小学校低学年と高学年と、中学生、高校生、大学生・・・それぞれで是非や課題が違うと思っています。宿題だって同じじゃないでしょうか。個人的には宿題をやるやらないの是非、ではなく、
・宿題をやる
・宿題をやらない
のどちらの選択だとしても、自分の責任で自分で決めて、それによるデメリットも他責にせず自分でケツをふく人間になることが大事なのかなと。