【藤原和博:1.7万字】本当に必要な教育改革と、3つのオンライン運用法
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学校は3分の1を占める50代のベテラン教員の引退、児童生徒の学力のフタコブラクダ化で指導力が落ちている。20代の教員を大量にとっているのだが、武器が必要だ。だから、コロナ以前から私はオンラインの本格導入を訴えてきた。
第3回はその運用の具体策を提案する。
まず「教えるのが上手なビデオ授業は、下手な先生の生の授業に優る」という現実を見つめなければいけない。多くの教員にとっては屈辱だろう。だから、オンライン授業の導入を阻害する最大の要因は、教員のプライドなのである。
でも、若手の先生なら、得意な国語と社会は自分でやるが、算数と理科については、その単元を教える「最高の先生」のビデオを見ながら、自分がファシリテートしていけばいいと考える。世代交代の今がチャンスなのだ。
やがてネット上で、その教科のその単元を教えるのに最もやさしく、楽しく、効果的な教え方をする「スター誕生!」番組も現れるだろう。
前田裕二さんの「ショールーム」の授業バージョンだ。
教室で、前面のスクリーンに「最高の先生」が登場し、担任教諭が児童生徒と同じように座ってそれを観ながら勉強する姿は当分の間は違和感があるだろう。
でも、あまり気づかないメリットもある。
一つは、ビデオなので先生が止めたり、繰り返したりできる点だ。
同じ教材を、同じ教員が、同じスピードで学ばせる一斉授業は、できない子、理解が遅い子にとってはもはや「虐待」以外の何物でもない。
分かりにくい小学校3年の分数や小数、図形の授業ではこのメリットが生きる。
もう一つは、オンラインにした途端に、それはデジタルの補助教材になるから、ビデオで教える先生はとくに教員免許を必要としないという点だ。
塾や予備校で人気の名物教員でも、教員免許を持っていない人は多い。この特徴を生かしきれば、ネット上のあらゆる分野で「最高の先生」を探すことが可能だ。
「ごんぎつね」を読むのが最高に上手な先生は、国語の先生に限らず、じつは山形県の田舎に住んでいるおばあちゃんだったり・・・一億総先生化運動なのだ。
最後に、よく学校でビデオで勉強するようになるとヒューマンタッチが薄れると心配される向きもある。逆だ。知識の伝達をビデオに任せることで、先生にはより人間しかできない動きをする余裕が生まれる。
学校を人間ドラマの生まれる場に戻そう!
注目のコメント
自ら教育改革の中にいた方ならではの言葉。
オンラインをただ推奨する内容でないところがすばらしい。
オンラインか否か、という論点になりがちなところですが、全体像に気づかせてくれます。
長いですが、教育関係者に限らず、多くの人に読まれてほしいものです。
「本来、子どもは「家庭」「地域社会」「学校」が三位一体で育てるものだが、先に「家庭」と「地域社会」の教育力が弱まり、ついに「学校」の教育力が弱まり始めたのだ」
「学校の教室ではオンラインで『最高の先生』の動画を活用せよ」
これについては、今後もっと話題になっていってほしい。
子どものオンライン授業を見ていて感じていることですが、これまで教室の中で見えなかった授業の様子は、公開され、比較されるようになっていきます。
全ての教師の講義技術を上げるよりも、「最高の先生」の授業を解説し、生徒との1on1のコミュニケーションを補完するかたちを目指す方がずっと早いはず。
物事を前に進めるのは、結局は「腹の据わり方次第」。
政治家、教育関係者だけでなく、親の「腹の据わり方次第」でもあるでしょう。とてもよく中身の詰まったシリーズでした。「オンラインか学校かではない」、オンラインが手段ではなく目的化してしまわないように、↓のような運用が大事という指摘はその通りだと思う。
❶放っておいても自分でできる子は勝手に進ませる
❷学校の教室では「最高の先生」の動画を活用する
❸経済的に厳しい子の家庭にはWiFiと端末を無償で貸し出す
これはビジネスも同じで、働き方改革における残業削減や女性活躍などでも同様に手段が目的になってしまう傾向がどうしてもある。本当の目的を見失わない一方で、あるべきや目的だけを語っていても仕方がなくて、各論の運用のHowに落としていくやり方が成功の可否を握る。
要はこの政策の大上段の目的のコミュニケーションと、手段の運用のオペレーションをしっかりと設計して実行することが大事なんだとあらためて実感。