検察庁法改正案の採決、来週に持ち越し 野党が武田担当相の不信任決議案提出
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ここまで来ると正義vs民意ですね。
自分たちは正義の体現者であると自負し、強大な権力を持ってきた検察を信頼するか、
時によって変わる民意によって選ばれた代表者が、彼らに首輪をつけるか。
民主主義を信じるなら、本来は後者を選ぶと思うのですけどね。
ホリエモン事件やゴーン事件見るに、検察の掲げる正義が全然ピント外してるように思うので、民意で管理すべきだと思うのですよね。裁判所がちゃんと独立していれば三権分立なので。
注目のコメント
内閣や法務大臣が「公務の運営に著しい支障が出る」と判断した場合は定年を最長3年延ばせる、という「公務」は、検察官の場合は捜査そのものと考えられます。「恣意的な運用はない」と説明されていますが、捜査の進め方に支障があるかどうかを政治が判断するというこの条文そのものが、検察捜査への政治介入というふうに私には感じられます。
閣僚の不信任決議案は他のあらゆる審議に優先すると決められており、本会議で採決されるまで委員会の審議もストップです。検察定年延長の採決は来週19日の本会議以降、となりますが、現状では19日に不信任案否決→定年延長の委員会採決、となる公算が大です。この週末から週明けにかけて採決の行方を左右するどういう動きが起きるか注目です。数の論理で押し切ることはできますし、ずっとそうされてもきました。ひとつ気になるのは、首相の気の抜けた棒読み答弁です。この法案の深刻さを理解していないようにも思えます。検察が政治化するということは、あくまで例えばの話ですが、政権交代で自民党が下野した時に、モリカケも桜を見る会も一気に立件されてしまうような社会の出来です。この問題を振り返る時、政権の深い策略というよりも、考えの足りない思いつきの連続があり、それを糊塗するために、重大な問題になってしまったようにも見えます。これは、国民にとって、それも未来の国民にとって大変不幸なことです。
政権は立ち止まって考え直すべきです。検事総長、次長検事、検事長の任命権者はもともと「内閣」です。
定年を延長する、任期を延長するということは、新たに再度在職者を「任命」することと大きく違うのでしょうか。
そもそも内閣に任命権があることは、巷間でいうように「内閣による恣意的な人事」とは批判されないのでしょうか。
最高裁判所の裁判官は国民審査を受けますが、検察官は国民から選ばれるわけではなく、国民から審査を受けることもありません。
「内閣の顔色を伺う」ことは、国民から選ばれた最大勢力を土台に組閣された人たちによる監視が効いているということではないのでしょうか。
権力は独立していれば良いのではなく、他の権力から監視されなくてはなりません。本件は、実は民主主義システムの強化かもしれないのです。