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いつか我が子がこの時代を振り返った時に、パパたちの世代や社会がどういう風にこの無理難題に取り組もうとしていたのかを伝えたくて、泉記者の丁寧なご協力のもと寄稿させていただきました(まだ我が子いないけど)。

皆様のコメントのとおり、法は社会の鏡であるとつくづく感じます。だからこそ、異論も含めてどんどん思想の自由市場にみなさんの考え、思想を出していかないといけません。NewsPicksはそれが出来る数少ない場所の一つだと思います。
法とは、社会のあり方がこうあってほしいという希求を言葉で表現したものです。法というものの起源については様々な説がありますが、法とは単に人々が共存するためのルールや、秩序を維持するための罰則ではありません。社会、そこに生きる人々がどういう人間であってほしいのか、人々の生きる国家がどのような体制であるべきなのかを明確に示そうとしたのが法です。
 Constitutionというヨーロッパの言葉は、「憲法」と日本語に訳されましたが、全ての法律の基本法というだけでなく、国家の体制そのものや、国家の理想とするあり方のことをも意味します。1787年に世界で最初に作成された憲法であるアメリカ合衆国憲法は、まさにこれからつくろうとしている社会が、どのようなあり方で、その国家の体制はどういうものかを表現したものです。
 憲法というのは、そういう、アメリカ独立戦争やフランス革命の過程で、国家・国民というものを前提とした社会のあり方を表現する画期的に重要なマニフェストであり、武器でした。
 ヨーロッパの法は、キリスト教と切り離せないもので、自然法という神のつくった規範が存在するという常識が共有されていたから、近代ではその延長上で憲法も求められました。 
 日本では、明治憲法であれ、昭和憲法であれ、日本の社会がどういうふうにあってほしいか、どういう人々がつくる国であってほしいのか、という希求を日本人が大いに輿論を集めて表現する、ということができなかったところがあります。現行憲法は、基本は米国に倣ったものですが、理想とする社会と市民のあり方は共有できていないところが多く、新型コロナウィルス対策についていえば、緊急事態に際して市民が果たすべき役割の理想が、良くも悪くも日本と米国では異なります。
 「欧米で行われているロックダウン」というのも全然一様ではありません。国によって、憲法が、人々に求めるあり方がかなり異なっています。国民に市民的な連帯と献身を求める憲法もあれば、米国のように連邦政府は州と個人の生活に極力介入しない、という憲法もあります。単に個人の財産権を尊重するから補償する、といったことよりも、社会の一員として求められるあり方が異なります。
とんふぃ先生の力作!よくまとまっていると思います!

種々の事情から致し方なかったとも思いますが、「休業・自粛要請」という裏技的手法により、「補償」なしで、事実上のロックダウン効果を生じさせたことは、本当は論点になりうるんでしょうね。

もっとも、今回直接の「補償」は用意されていないものの、日本政府の財政出動全体で見れば、GDP比で先進国No.1とのこと。
https://www.bbc.com/news/business-52450958

当初対応のスピード感には色々と問題があったとも思いましたが、その後の修正や追加施策の打ち手・スピード感・運用は、すごく頑張っているといえるのではないでしょうか。

今のところ、他の先進国と比較すると、日本の傷は相対的に浅いので、この難局を乗り切って、反転・勝負を仕掛けたいです。
緊急事態宣言が延長され、子どもと一緒に過ごす時間が増えた人も多いのではないでしょうか。子どもとテレビを見ていて思いがけない質問を受ける、という親御さんも多いと聞きます。

そこでNewsPicksは、親子で学べるをコンセプトに、世の中の仕組みを基礎から学びなおす連載を期間限定で始めます。今週末は政治編。ロックダウンを法律の観点から紐解きます。

憲法や法律と聞くと何だか難しい話のように聞こえますが、実は私たちの生活に直結しています。最後の一文が、とても印象的でした。

「自粛でコロナ禍を乗り越えるのか。それとも、私権制限を受け入れてでもより国家に頼る制度を作るべきなのか。その問いが、国民一人ひとりに投げかけられていると思います」
一点だけ捕捉させて下さい。

憲法29条の「補償」がそもそも必要なのか否かについて、通説は「特別犠牲説」を採用しています。

自分の土地だけが道路開通のために没収されたというようなケースです。
「特別な犠牲」でない場合は「補償」は不要とするのが通説です。

「特別な犠牲」で憲法上の「補償」が必要とされる判断材料は、以下の2点です。

1 侵害行為の対象が広く一般的か、特定の個人や集団かという点(形式的要件)

2 侵害行為が財産権に内在する社会的制約として受忍すべき限度内か、それを超えるものか(実質的要件)

今回の営業制限は、対象が広く一般的だという点で1の「形式的要件」を充たしていないので、裁判所に提訴しても「補償」が認められることはないでしょう。

もちろん、国が法律を制定するなどして「補償」を行うことは差し支えありません。

とんふぃ先生が書いておられるように、憲法は原則として国民の権利を守るためのものですから。

 によって判断します。
法律家ではないですし、良し悪しをコメントしたいわけではないのですが、少し個人の見解が垣間見えるように感じたことはコメントしておきたいと思います。

親子で学ぶと第するからには、ニュートラルに論じて欲しいですね。過去も大事ですし、学ぶべきことも多くありますが、未来を決めるのは、子どもたちですから。バイアスをかけないであげて欲しいと思います。

初回から憲法議論はちょっと重たいかもしれないですね。
とりあえずコロナ問題に紐付けときたいという気持ちは本当にわかるのですが。
今知りたい情報が整理されています。特に連日のように報道される飲食店等の補償について。ロックダウン法が可決された場合には、憲法29条の財産権が関わってくるという話。
ゴールデンウィークの移動が大幅に減少していました。これをみると日本は緊急事態宣言で十分だと思いました。日本人のマナーの良さは世界でトップレベルです。

いい意味で同質化していることによって同方向に向きやすい。しかし、為政者に権限をもたせすぎると、それに追随してしまう恐れもあります。やはり自主性を重んじることが大切かと。
理解が進みました。個人的には政府が憲法改正で緊急事態条項を盛り込むことも已む無しだと思います。

3月には「欧米諸国を見習って早く緊急事態宣言を出せ」という世論が、4月末には「既に解除に向かいつつある欧米諸国を見習って緊急事態宣言を解除せよ」という世論にころっと変わり、「明確な指示・リーダーシップを示せない政府はダメだ」と批判されてしまう。

であれば、緊急事態条項で政府が強権的なリーダーシップを取れる状態にすることを、国民として促している様に捉えられても已む無しでは無いでしょうか。

https://newspicks.com/news/4863611?ref=user_1400096
ロックダウンという言葉は、日本では確かに雑に使われて来た気がします。ある意味グローバリゼーションの産物ですが、テレビなどのニュースで出てくる「本物のロックダウン」をそれが「日本にも来る」だとか「やるべき」と安易に言い過ぎている論者も少なくありません。
しかし、こうして憲法までさかのぼった議論を聞くと、ここは本当に丁寧に扱っていかなければいけないなと、普段は「トップダウンでどんどん政府が動いて新しい時代を切り拓くべき」という考えをもつ私ですら改めて思います。
今、われわれがいる環境はまさに「繊細なガラス細工」のようなもので、一人一人が頭を使って慎重かつ賢明に行動して、事態を乗り越えて行かなければならない、ということに尽きると思います。
考える、よい機会を頂きました。感謝したい。