【大愚和尚】お寺にも「イノベーション」が必要だ
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仏教のお寺がこれから立ち行かなくなって多くが消えていくのは、確かにもう既定路線です。ただ、だからといって、お寺が別のもの、カフェとか、メンタルケア・カウンセリングとか、シアターとか、そういう業者になるべきか、というのはかなり難しいところです。そういう業者はすでにあって、その多くが十分に厳しい経営状態にあります。
葬式仏教では立ち行かない、あるいは葬式仏教は本来の仏教の姿ではない、といっても、日本の仏教は、もはや徹底的に葬式仏教に特化しています。葬式仏教にはお金がかかるし、そのためにお金を稼がねばならない、というのは、それはそうでしょう。ほとんどのお寺は、数は減ったとはいえ、檀家衆というものを抱えています。その人々が満足するように、体裁を整え、墓地を維持していくには、それはお金がかかるでしょう。仏教の本来の姿からいえば、金を稼ぐことなど一切せず、財産を一切持たず、喜捨だけに依存して生きていく、というのが正しいでしょう。
何百年の付き合いのある檀家衆を捨てて、さほど収益が高いとは思えない、すでにあるような他業種に転換するのがそれほど生き残りにつながるか、というと、多くのお寺はそうは思わないでしょう。何といっても、お寺と檀家と墓、というビジネスモデルは、なかなか業界外から参入できるものではありません。マーケットは収縮していくにしても、競合の無い、独占に近い業種であり、いわば旨味があります。
およそ日本の宗教である限り、やることは先祖祭祀であり、シェアを増やすというのは、他から檀家を奪う、ということです。日本の宗教市場は収縮が続いていますが、多少とも成功している宗教団体というのは、他から若い世代を中心に檀家を奪っているところです。カフェやカウンセリングに転業して大きく収益を増やした宗教団体というのはありません。
市場全体が収縮していくのだから、本当の意味で生き残りに通じる打開策は、グローバル展開くらいでしょう。日本の宗教団体で、グローバル展開に成功していところとなると、5本の指で数えられるくらいではありますが、東アジアや南米、インドなどの市場で、合わせれば日本と同じくらいの檀家衆を抱えている、という大手宗教団体はいくつかあります。仏教は本来、「生きている人」を救うための教え。それが今の日本では、「お葬式」に代表されるように「亡くなった人のためのもの」になってしまっている…。
仏教が社会とかけ離れた特殊な世界と認識され、「何をやっているのかわからない」と思われている状況を変えていきたいと語る大愚和尚。
そのために「檀家制度を解散し、会員制度を採用」「新宗派を設立し、活動の可能性を拡大」など、数々の革新的な取り組む姿は、まさに仏教界のイノベーター。
ぜひビジネスパーソンに読んでいただきたいインタビューです。確かに欧州に住んでみてわかることは、若者はもう協会には行きません。完全に日常の習慣から宗教という概念が離れてしまっていることがわかります。日本もそうだと思いますが、若者にとってテクノロジーが宗教になっています。
多面的に真実を、ファクトフルネスを実践しようとすればするほど、歴史、文化、思想、宗教、人類進化学…といった文脈を埋めてくれる素材がどうしても必要になるのも事実。
日本の仏教は世界でも特異な宗教にカスタマイズされてはいますが、残された課題になっているような気もします。イノベーションを起こそうという方が出てくることは、自然な流れなのかもしれません。応援したくなりますね。