バイリンガルが使う言語によって「人が変わる」理由
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この記事のバイリンガルの定義が気になる。第2言語の方も母語と同じくらいの運用能力があるバイリンガルと、上級者ではあるけど第2言語は第2言語というバイリンガルでも異なるのではないだろうか。私は3つ目の言語になると完全に頭で考えないと問いが理解できないから理性的でしかないだろうし、複雑な考えを表現できないから誤解を招かないよう良い人らしい答えを言うと思うけど、母語と第2言語で自分の持つ倫理観や信条に関する問をかけられて回答が異なることはないような気がする。
ただ、マナーや人への接し方は、その言語の文化的な価値観に影響されるところもあるのも事実で、同じ内容の発言でもある言語では許せず、ある言語では許容するようなこともある。日本語で話すときにハグされたら警戒するけど、イタリア語で話すときはハグにキスが付くのが自然だろう。とはいえ、これは言語についてくるジェスチャーであって、人が変わる状態とは少し違うかも。
注目のコメント
文学に向いている言語→フランス語、日本語
ビジネスに向いている言語→英語
曖昧さを許容する単語、文法が多い言語は文学に向いているらしいです。
個人的には、グローバルなプロジェクトの場合、先に英語で資料を作り、それから日本語版をつくります。
自分の思考から曖昧さを排除するためには、英語の方が便利です。結果的に英語を使うと、曖昧さがなくなりますね。「5人の命を救うために、1人を殺さなくてはならないと言われたら、あなたは実行しますか?」
この質問を母国語でされた場合、その1人を犠牲にすることを、かなり躊躇するに違いない。実際、研究対象となった学生のうち、実行すると答えたのは18%だった。
ところが、母国語でない言語で同じ質問をすると、44%が実行すると答えた。第二言語で聞かれると、その答えが変わったのだ。
人はおそらく第二言語ではより理性的に、母国語ではより情緒的になるのだろう。確かに、使う言語により論理の組み立て方が変わる。 私の場合、英語は社会人となって仕事上習得した。 それでも 最初から英語で作ったものの方がロジックがはっきりする。 一方で感情を表現したい時、英語だと微妙な言葉や言い回しが物足らず(ボキャブリーの問題か?)日本語を使いたくなる。