安楽死選んだパラ金メダリスト、見送った両親は今 相模原殺傷の植松聖被告が使う「安楽死」は誤り
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以前から関心があって、安楽死に関する記事には目を通すようにしています。マリーケさんのお話、考えさせられた。そこに選んだ死があるからこそ、生き抜くことができた。個が尊重される時代、痛みに向き合うことを強要することはできない。もちろん慎重に議論されるべきですが、望む人の声が無下にされないを願います。
注目のコメント
やり遂げた先が「安楽死」というのは、障害者を巡る1つの社会問題として挙げて良いのではないでしょうか。
周りの理解があれば、監督やコーチ、伝道者、場合によっては解説者やコメンテーターなど、いろいろな道があったはずです。日本でも、そのような立場で活躍している人は多々いるわけで。
私は「安楽死」は本人が病的なもので生きることが苦痛で死が確定的なら、それは致し方ないと思ったりもしますが、今回の件を受けてそうとも言えないという微妙な感情を抱いてます…。
これは、障害者の社会的な問題と安楽死にまつわる問題なので、ちゃんといくつかに分けて判断する内容かと。