AIの手塚治虫“新作”27日に キオクシアが制作
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注目のコメント
変な話ですが、今を生きるクリエイターには「死後AIによって作品を作り続けることを許可しますか?」と承認してもらうことはできますが、もう亡くなってしまったクリエイターの意向は確認できませんので、この手の作品はかなり疑問に思ってしまいます。
もし自分の死後、自分のアバターがAIによって全く知らない曲を演奏させられていたら、、と思うと鳥肌が立ちます。いろんなチャレンジがあっていいのだと思いますが、この領域でのチャレンジは研究者の自己満足のように思います。AIによるベートーベン楽曲やAIによるドストエフスキー小説と同様に、個人的にはまったく魅力を感じません。作品の向こうには、時代があり、その時々の思想があり、作者を囲む人間の群像があったわけで、作品群を並べて機械学習したところでそこに意味は感じません。とりわけ手塚漫画は手塚さんの人生とともに成長してきました。それらをシャッフルしてもやはり意味はないように思います。頭が古いんでしょうか。
紅白のAI美空ひばりをめぐっても賛否両論が出ましたね。個人的にはこの分野、もっと活発な議論があるべきと思っています。
人の死が必ずしも「永遠の別れ」を意味しない、生死の線引きがあいまいになる時代が来ると、第三者が自身をテクノロジーで蘇らせたり、自身の作品をAIで作ったり、という取り組みに対して、死んだ当人はどこまで自己決定権を及ぼせるのかという問いが生まれます。いちいち生前に「これはやっていい、あれはやるな」と指示を出しておかないといけなくなるのでしょうか。もちろん技術それ自体はニュートラルなのですが、人間が生み出した技術のために、生き死にという根本的な部分の線引きがあいまいになるのは、本当に幸せなことなのか、という疑問をぬぐえずにいます。