【トップの流儀】加藤健人「始めなければ始まらない」

2020/2/9
「WEEKLYオリパラ #7」は、ブラインドサッカー日本代表の有力選手である加藤健人。初めてパラリンピックに出場する代表チームは「金メダルを獲る」と意気込む。高校時代に失明しふさぎ込んでいた時にブラインドサッカーと出会い、大きく変わった人生──。
加藤健人(かとう・けんと)1985年10月24日、福島県出身。小学校3年でサッカーを始め、聖光学院高校3年時にレーベル病という遺伝性疾患を発症。19歳でブラインドサッカーと出会い、筑波技術短期大学進学後の2007年から日本代表として活躍。埼玉T.Wingsに所属し、キャプテンを務めている。アクサ生命保険勤務。

「なにもできない」を変えた存在

──まずはじめに、サッカーとの出会いについて教えていただけますか。
加藤健人(以下、加藤) Jリーグが93年に始まったのが、ちょうど僕が小学低学年の頃でした。テレビで見たプロのサッカー選手に憧れて、小学校3年生からサッカーを始めました。
 小中高とサッカーをやってきたのですが、18歳ごろに視力検査をした際に片目の視力がないことに気づいて、大きな病院で検査したところ遺伝性の病気(レーベル病)を持っていることが分かって……。
 片方の見えている目も視力が落ちていくかもしれないと言われました。この病気はいまの医学では治らないと言われ、やはり片方の目の視力も落ちていきました。
──目が見えなくなった時は、どのような心境だったのでしょうか。
加藤 「障がいのある人は、普通の人と違う」と思っていたので、この先の人生なにもできないんじゃないか、自分なんて必要ないんじゃないか、と思うようになってしまい、高校も休みがちになりました。
 卒業後もどうしたらいいか分からなかったので、家に引きこもっていたことがありました。
──そんななか、ブラインドサッカーに出会ったのですね。
加藤 両親が「なにかできることがあるんじゃないか」と思って、インターネットでブラインドサッカーの存在を見つけてくれました。それが、このスポーツを知ったきっかけでした。
 僕は福島県福島市の出身で、いまはブラインドサッカーのチームも少しずつ増えていっていますが、当時は近くても新潟県のチームか、つくばのチームでした。
 つくばのチームは学校を拠点にしていたので、学校に連絡を取り合って、父親とふたりで行きました。
──ブラインドサッカーを初めて体験してみた印象はいかがでしたか。
加藤 いままで自分がやっていたサッカーとは少し違うなと思いつつも、基本的なルールは同じなので、楽しくゴールをめがけて打てるというか。
 少し体験させてもらうなかで、チームの人に誘ってもらえたのが嬉しくて、自分もここでサッカーをやっていいんだ、自分を必要としてくれる人がいるんだって思いました。
──新たな生きがいを見つけたのですね。
加藤 そうですね。
 なにもできないとは言いつつも、このままではダメだという思いがあって、でもどうしたらいいか分からない。そんななかで見つけたブラインドサッカーだったので、とにかく嬉しかったですね。
 あとは、自分がやってきた、大好きだったサッカーだったので、よしやろう!って思えました。
──本格的に始めてから、新たに感じたことはありましたか。
加藤 やってみて楽しかった。でも、見えないなかでサッカーをする難しさを感じました。
 そんな簡単なことではなかったので、足元にボールがあればなんとなくドリブルして蹴ることはできるのですが、最初はボールを止めるのがすごく難しかったですね。

音だけで空間を認知し、判断、行動する

──ブラインドサッカーのパラリンピックでの競技名は「5人制サッカー」ですよね。加藤さんは、どのようなところが魅力的だと思いますか。
加藤 フィールドプレイヤーの4人はアイマスクをつけてプレーしていて、5人目のゴールキーパーのみ晴眼(視覚障がいがない選手)、または弱視の選手が務めるのがブラインドサッカーならではのルールです。
 フィールドプレイヤーの4人は、味方のゴールキーパー、センターライン付近にいる監督、相手のコートの後ろにいるガイドを含めた7人で「声」のコミュニケーションをとっていく。
 見える見えないに関係なく、チームワークでやらなければいけないというのが、やはり魅力のひとつだと思います。
写真提供:日本ブラインドサッカー協会/鰐部春雄
──音の出るボール(中に金属の粒が入っている)を使うのが特徴的です。
加藤 ボールが転がると、マラカスのようにシャカシャカと音が鳴るので、それを頼りにプレーします。
 シャカシャカという音だけでボールがどこにあるのかを探して、そのボールを足元で止めなければいけないので。サッカーの技術ではなく、音を聞き取れるかどうか、音の認知の問題なんです。
 音の世界で生きてきたわけではなかったので、聞き取るのが難しかったですね。見えていたら、簡単にボールが取れるのに…という葛藤はありました。サッカーをすでに知っていたからこそ、その葛藤がありました。
──ブランドサッカーに求められるものとは何でしょうか。
加藤 音と、あとは声ですね。仲間同士の声。そして自分の感覚も大事ですね。
──自分の感覚?
加藤 はい。声や音を頼りにしますが、感覚的なものも重要ですね。
 自分の場合は12年以上プレーしているので、ボールとの距離感などはつかめていますが、初めてアイマスクをつけてプレーしたときは苦労しました。
 いまでもコートを歩いて広さを確かめるなど自分の感覚を確認しているのですが、空間認知ができているとプレーもスムーズにいくので。
──「音」を聞いて「空間」や「状況」を認知するということですね。
加藤 そうです。
 よくサッカーでも、認知判断行動をどれだけ早くできるかが大事だと言われていますが、先ほども言ったように見えていないので、音や声でどれだけいま起きていることを認知できるか、そのときに自分がなにができるかを判断してプレーをするか、というのがどれだけ見えていることと一致できているかです。
 それが遅ければ判断がどんどん遅くなる。そこが勝敗を分けるポイントでしょう。

強気で、金メダルへ

──加藤選手の日本代表としてのキャリアは、2007年の北京五輪予選から始まりました。長年競技を第一線で続けてきたからこそわかる、今の日本チームの状況を教えてください。
加藤 2007年の10月に代表デビューしてから13年くらいになります。
 とくに大きな怪我もしていないので、公式なアジア選手権、世界選手権、IBSAという団体の公式大会にはメンバーとして13年間出ています。スタメンで出場するときもあれば、途中出場のときもあり、一切試合に出ないこともありました。
 長年ブラインドサッカーに関わってきて、僕自身も日本代表チームも成長しているんじゃないかと思います。でも、結果で見た場合、日本が成長しているとしても、同じように周りの国も成長している。追いつけそうで追いつけないというのが現状です。
 ただ、なかなか勝てなかった国でも試合内容は悪くなかったり、引き分けや勝つことも最近はあるので、自分たちがやっていることは間違っていないと思っています。
──先日、ワールドグランプリ(3月16日〜21日@東京・品川)の組み合わせも決まりました。
加藤 日本を含め8か国中6カ国が東京パラリンピックの出場国になるので、そこで内容だけではなく結果も残さないといけない。日本代表が掲げてきた「東京パラリンピックで金メダルを獲る」という目標のためにも、とても大事な大会になるんじゃないかなと思います。
──東京パラリンピックでのメダル獲得の自信は?
加藤 チーム一丸となってやっていくには「金だ!」と思っていなくては、ひとつにまとまっていけない。まず目指すところは金メダルだとみんなが思って日々トレーニングをしています。
 アテネ大会からブラインドサッカーは正式種目となっていますが、日本は一度も出場したことがなく、ランキングを見ても13位。8か国しか出られないパラリンピックでは下のほうですし、1位のアルゼンチン、2位のブラジルには一度も勝ったことがありません。
 ただ勝負の場面ではどうなるか分かりませんし、一発勝負なので、いい準備をすれば結果もついてくると信じています。最後は気持ちが強いほうが勝つと思っています。
──どんなところに注目してほしいですか。
加藤 パラリンピック成功のためにも、メダルの数も大事ですが、どれだけブラインドサッカーの会場に応援に来てもらえたかどうかも大事だと思っています。
 満員の観客のなかでプレーしたいですし、たくさんの方に見てもらい、ブラインドサッカーを知ってもらういいきっかけになればと思います。
 見てみると、「すごい!」だけではなくて、いろいろ感じてもらえる部分がたくさんあるのではないかと思うので、まずは生で観に来てもらいたいですね。

挑戦しなければ、何もわからない

──そういえば、1月24日の加藤選手のオフィシャルブログで書かれていましたが、先日『ブラインド書道』に挑戦したそうですね。
加藤 自分の好きなことを書いてくださいと言われたので、まず「夢」、そして「夢のつづき」と書きました。
 自分のなかではまっすぐ書いたつもりだったのですが、癖で右下がりに書いてしまうところがあるみたいで、はみ出ているのがなんとなく分かりました(笑)。そこの方が「本当につづいているように見えますね」と言ってくださって。
 自分は失敗したと思ったものが、違う人から見たらいいものに見えるというか。字も綺麗だったりまっすぐ書けばいいものというわけではなく、要するに崩れていたり綺麗じゃなくても、人によってはよく見えたり、そのほうが気持ちが伝わる部分があるんだなと。
出典:加藤健人オフィシャルブログ Powered by Ameba
──「夢」という言葉を選んだのは?
加藤 夢や目標を持つことが、やっぱり、僕の人生の支えになっているから。
 視覚に障害を持ったとき、これから先なにもできないんじゃないかなと思っていたので、目指すものがある、やりたいことがある、というのは自分の生きがいとして、いくつになっても忘れてはいけないと改めて思いました。
 小さい頃に「夢はなんですか」と言われることは多いと思いますが、それは年齢関係なく、どんな仕事や環境であっても、夢や目標を持ち続けることは大切だと思います。
 いろんなことに挑戦しないと分からないと思うんです。『始めなければ始まらない』という言葉をずっと大事にしていて、「視覚障がい者=何もできない人」というのは自分が決めつけていただけでしたから。
──今後の夢は?
加藤 まずは一番近いところでいうと、繰り返しになりますが、パラリンピックでメダルを取ること。
 その後は、自分がブラインドサッカーを続けるかはまだ分からないのですが、ブラインドサッカーは自分の人生にとってすごく大きなきっかけになりました。たくさんの人に出会い、いろんな経験をさせていただいた。恩返しじゃないですが、ブラインドサッカーにこれからも関わっていって、より多くの人にブラインドサッカーを知ってもらえるよう、盛り上げていきたいですね。
 ひとつ、挑戦したいことがあるんです。
──どのような挑戦でしょうか。
加藤 スポーツの世界でも目のトレーニングはあると思いますよ、視野を広げたり、空間認知だったり、反射だったり。
 でも、耳のトレーニングはあまりない。
 ブラインドサッカーで本当に上手い選手は、あたかも見えているかのようにボールを止めて、「ボイ!」(ブラインドサッカーで、相手に向かっていくときはこう言わなければならない)と言っていない周りの選手も認知して、ドリブルでかわしてシュートしていく。「見えている人よりも上手いんじゃないか」と思う選手がたくさんいます。
 そういう選手たちは“聞いてイメージする”のがとても上手い。そこの部分をトレーニングするものがあれば、ブラインドサッカーの裾野ももっと広がるだろうし、もちろん自分自身のプレーの幅も広がっていく。
 脳の研究者みたいになってしまうかもしれないですが、そういう分野にも挑戦していけたらと思っています。
(取材・執筆:小須田泰二、編集:黒田俊、石名遥、撮影:花井智子、デザイン:松嶋こよみ、バナー写真提供:日本ブラインドサッカー協会/鰐部春雄)