安易な「ポンチ絵」が、真っ当な政策を妨げる可能性について
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大きな社会問題や経済問題が発生したときに、なにか対策をしなければならない。その際、これは効きそうだということを考えて、ポンチ絵にして、予算を獲得するのが、現在の政策プロセスだ。川口さんが指摘するように、効きそうだと誰もが思っていることが正しいのかをチェックしていかないとせっかくのお金が無駄になってしまう。効きそうだと思っていても、思わぬボトルネックがあって、成果がなかったということも多い。そうであっても、ボトルネックの存在がわかれば、つぎに同じような政策をする場合には改善できる。しかし、現在の予算獲得の方法であれば、またしても同じ失敗を繰り返すことにしかならない。
お役所名物ポンチ絵もさることながら、それ以上にPDFでの情報公開がなんとかならないものかと、いつも感じています。
そもそもPDFであるという時点でファイルを開こうなんて気は起きませんし、拡散もされません。その脱落率たるや。
メディアが編集して再発信すればいいという発想なのかもしれませんが、そもそも伝える気はあるのか、いつも疑問に感じます。
別に特段の予算や期間をかけずに如何様にでも改善する方法はあると思うんですけどね。政策立案はデータやエビデンスに立脚せよ。
例えばぼくが関わる著作権では、制度改正に当たり著作物の生産・消費の数量や金額がどう変わるのか、データや実証を元に経済学的な見地から議論しようと唱え続け、近頃はかなり数字が使われるようになりました。
その議論でポンチ絵は必要ありません。
データや実証を図示することは有用で、それにはセンスが要りますが、官僚は苦手。
霞が関はポンチ絵を重視するなら、官僚たちを絵師にしようなどと思わず、絵師をたくさん雇えばよろしい。