国語の試験時間80分に短縮 共通テスト、数学は変更なし
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もうそろそろ、入学試験という方式自体を考え直してもいいのではないだろうか。明治期の慌てた近代化の中で、日本は、まだ誰も小学校を出た者さえいないのに、国家を担う人材の育成のために高等教育機関を作らねばならなかった。そこへの入学資格は、まだ誰もいない中等教育修了者では有り得ず、仕方なく何らかの試験で決める他はなかった。中等教育機関も、平行移動のような形で同じような次第であった。しかも、そうした中、初等教育は初等教育、中等教育は中等教育、高等教育は高等教育といった形で、相互の連続性を欠いたまま独自に発展していったのだ。かくして、入学試験という方式が固定化し、100年以上も続いてしまっているのである。そもそも、根本的な点を見直す必要があるだろう。また、学歴主義という言葉は、藩閥主義の反対語であったことも理解しておく必要がある。つまり、学歴主義こそ実力主義という位置づけだったのだ。
これを契機に、入試から漢文を廃止すべきだ。
戦前まで公式文書を漢文調で書く習慣があり、戦後も民法や刑法は漢文調だった。そうした習慣がなくなった現在、漢文を学習する意義はない。
老荘思想を始めとした中国哲学を学ぶことは十分意義があるが、それは現代語訳で事足りる。入試の問題文に出てくる文章は、現代人があえて読む意義のないものばかりだ。結局、受験とは何の能力を求める試験なのか?達成度試験なのか、入学試験なのか?
達成度試験であれば、今まで学んできたことがきちんと身についてるかどうかを試験する。
一方入学試験は、大学の講義や研究に耐えうる能力が備わっているかを試験する。
この議論がなければ、記述だ・英語4技能だという揉め事は議論のテーブルにする上がらない話。
受験制度よりも、大学の学びを真剣に考えなければ「小手先の話」だと思うのだが。。
高等教育機関で学んだり、研究したりするレベルなのかどうかをチェックする試験でなければ、日本の教育は世界から取り残されてしまう。