記者「メディアで働く人間として胸が痛む」冤罪に狂わされた男の映画が闇深くて怖い
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「リチャード・ジュエル」、今日見てきたが相変わらずというか、必要十分な描写だけで淡々と進めているのにドス重い感銘を受ける大変な傑作だった。問題となっている女性記者の描写だが「ネタと引き換えにセックスをした」のかどうかというところは直接には描かれないものの、それを匂わせるくだりはあるので本件のような批判については確かに留意すべきと思う(イーストウッドは、イラク戦争に進んだブッシュ政権を評した自身の金言「ちゃんと調べたのか?」が自らにも向けられることを覚悟せねばならないだろう)。ただ、ストーリー上ではこの記者は絶対悪というよりも両義的な描かれ方をしている点をも留意すべきだろう。一方で自分たちのプロファイリングに酔ったFBIは終始ろくでもない連中として描かれている。「母親と一緒に暮らしてる承認欲求でいっぱいの気持ち悪いデブが事件を自分で起こして第一発見者を気取ってるのだろう」という予断としか言いようのない犯人像分析を振りかざし、ちょっと要領が悪くて空気が読めないおたっくぽい男を切り刻もうとする…権力の姑息な恐ろしさを描くイーストウッドの描写には一切の容赦がない。
本作の勘所は、もともと「法執行官になりたい」という夢を描き、非常勤の警備員といった仕事を勤めながらも常に法による秩序の守護者たろうとしてきたリチャードが、その番人である捜査当局によって陥れられそうになり、弁護士が代表する「法」の別の側面…権利であり人間性を護る側面に出会う、そのことにより生まれるドラマであり、メディアの問題は道具立ての一つである。そして特筆すべきは母親役のキャシー・ベイツの好演。特別なことをしているようには見えないのにどうしてこんなに胸を締め付けられるのだろうか。ここ数年映画で見た母親像のなかでも格別に印象に残る演技だった。見に行きたい。
しかし、まだあるんですね、こういうイメージ。これが女性記者へのセクハラにつながってる気もする。
「スクープを枕営業ですっぱぬく女性記者の描写が、あまりにステレオタイプで違和感がありました」